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4.増上寺本と東博本


現時点でアヴェイラブルな増上寺本の原色版を以下に掲げる。 各増上寺本に対応する東博本を、対比のため各幅ごとに右側に示す。(なお、東博本は増上寺本の約1/2の大きさであるが比較しやすいように約2倍に拡大してある)

両者の表現技法の違い:
 増上寺本は画面の前後で色の濃度を変えず、全体に強い調子で彩色されているが、東博本は全ての幅にわたって、遠景に行くに従い淡彩する空間遠近法的手法がとられている。 背景も明るく淡い彩色が用いられ、増上寺本よりも全体に明るい雰囲気で仕上げられている。 さらに増上寺本では殆ど使用されていない紫や桃色が東博本では多用されていると云う。
 陰影法の面では、増上寺本では強烈な陰影対比がなされ、不自然さが見られる幅がままあるが、東博本では自然な陰影表現がとられている。

   各画像をクリックすると、拡大します。


増上寺本 第一幅 名相 東博本 第一幅 右図


増上寺本 第九幅 浴室 東博本 第五幅 左図


増上寺本 第二十一幅 六道・地獄 東博本 第十一幅 右図


増上寺本 第二十三 六道・地獄 東博本 第十二幅 右図


増上寺本 第二十五幅 六道・鬼趣 東博本 第十三幅 右図



増上寺本 第三十八幅 六道・天 東博本 第十九幅 左図


増上寺本 第四十五幅 十二頭陀・節食之分 東博本 第二十三幅 右図


増上寺本 第四十九幅 十二頭陀・冡間樹下 東博本 第二十五幅 右図


増上寺本 第五十幅 十二頭陀・露地常坐 東博本 第二十五幅 左図


増上寺本 第五十三幅 神通 東博本 第二十七幅 右図


増上寺本 第五十五幅 神通 東博本 第二十八幅 右図


増上寺本 第五十七幅 神通 東博本 第二十九幅 右図


増上寺本 第五十九幅 神通 東博本 第三十幅 右図


増上寺本 第六十三幅 禽獣 東博本 第三十二幅 右図


増上寺本 第七十幅 禽獣 東博本 第三十五幅 左図


増上寺本 第七十二幅 龍供 東博本 第三十六幅 左図


増上寺本 第八十二幅 七難・震 東博本 第四十一幅 左図





5.五百羅漢図制作の来歴

    増上寺の五百羅漢図には、増上寺の学頭を勤めた沙門大雲(1817-76)が記した「新図五百大羅漢記」が附されている。 増上寺山内源興院主亮迪の要請で記したとして、一信の経歴、「五百羅漢図」の来歴及び図様の概略を漢文で記したもので、文久3年記とある。 この中で、
『・・・・・・・・・・・・ 一信・・・・・・少くしてより仏乗に帰し思えらく、動植庶物をかたどるは人を悦ばしむるに過ぎざるのみ、何ぞ仏聖をかたどるの福を為すに如かん、且つ府下未だ五百羅漢の全備せる者有るを見ず、吾必ず之を写して以て世に福せんと。 是に於いて遍く古図を訪ね、名藍大刹、捜索殆ど尽くす。 ・・・・・・・・・ 顧みるに身、貧にして資無し、苟も募縁これを人に取るは又その意にあらず、三宝の冥助を請ううにしかず。 ・・・・・・・・・・・たまたま吾山の源興院主了瑩老師、画の事に因りて一信に面晤し談此の事に及ぶ。 老師その悃志を哀れみ謂て曰く、我嘗て一勝事を営みて以て護法の万一に擬せんことを念欲す。 羅漢は住世覆護の師たれば、即ち我まさに造主と為りて以て子が志を成すべし。 ・・・・・・・・』
とあり、本図がもともと一信の意志で企画され、増上寺からの支援で制作されたことがわかる。

また、本記には大雲らが寺院での修行や衣の色・着用法まで詳しく一信に指導したことが記されている。


6.増上寺 羅漢堂

明治30年発行の『新撰東京名所図会』第八編(『風俗画報』臨時増刊第149号)に左図に示す山本松谷による「五百羅漢堂」が掲載されている。 堂内には一度に六幅づつ掛け、月に一度の掛け替えをしていた。 仏壇には、釈迦如来及び文殊普賢の像が安置され、その前に、右に掲げる松本良山が彫刻した「法眼一信之像」があったと云う。


7.参考資料

1.狩野一信筆「五百羅漢図」 港区教育委員会  昭和58年1月 (港区文化財調査報告書)
2.別冊太陽 「狩野派決定版」山下裕二監修 平成16年10月
3.幕末の怪しき仏画 「狩野一信の五百羅漢図」 東京国立博物館 平成18年2月14日