Gallery-X
1.都市風俗画巻
1.1
清明上河図
1.2
姑蘇繁華図
1.3
熈代勝覧
2.山水図巻
2.1 山水長巻
Home
Gallery-T
Gallery-U
Gallery-V
Gallery-W
Gallery-X
Gallery-Y
Gallery-Z
Gallery-[
-----
Gallery-IX
Gallery- X
Gallery-XI
Gallery-XII
Gallery-XIII
Gallery-XIV
Gallery-XV
Gallery-XVI
山水長巻
1.解説
あの教科書に出ていた「柱に縛られ足の指で鼠を描いた小坊主」の雪舟が描いた図巻。
39.7x1592.0cm
の『山水長巻』。 山口県の防府にある毛利博物館に所蔵され、毎11月に公開されている。
2.画家
雪舟
せっしゅう 1420〜1506頃 室町後期の禅僧・画家。備中(岡山県)に生まれる。10代で上京して相国寺には入り、時の名僧・春林周藤と画僧・周文に師事したと云われる。 しかし、京都ではうまくゆかなかったらしく、三十代の半ばに周防(山口県)に移る。
周防の大内氏から庇護をうけ、1464年(寛正5)その地に画房雲谷庵を営んだ。 1467年(応仁元)、48歳の時に大内氏の遣明船に随行して明に行く。 使節の派遣のとき絵師を随行させるのが普通であったから、大内氏の命でその一員になったらしい。 まず寧波近郊の中国五山の第三位の巨刹・天童山を訪れ、外交使節に対する儀礼であろうが「首座(住持の下で僧たちのリーダーをつとめる役職)」の称号を受ける。 日本の寺では知客(来客の接待をする役僧)という低い地位に止まっていた雪舟にとって、よほど嬉しいことだったらしく、帰国後もしきりにこの称号を使っている。
寧波から北京まで大運河を遡る二ヶ月の船旅。 この旅の途上で見た風景を右の
『唐土勝景図巻』
として、また北京で見た異国の風俗を
『国々人物図巻』
として、残している。 さらに、北京では礼部尚書の命で礼部院(遣明使の朝貢の管轄役所)の壁画を描いている。 この絵は今はないが、同じく中国で描いた下に掲げる
『四季山水図』
から想像される。
冬景
秋景
夏景
春景
帰国は1469年(文明元年)。 日本は応仁の乱の真っ最中であったので、豊後(大分)に滞在し、天開図画楼を営み、1479年(文明11年)に山口に戻っている。
『山水長巻』
はこのころ大分で描かれ、大内氏に献上されたものといわれる。
山口に落ち着いてから、弟子の如水宗淵に与えた左の
『破墨山水図』
(1495)、日本の名所に取材した右の
『天橋立図』
(1502頃)、下に掲げるの禅宗故事によった人物画
『慧可断臂図』
、晩年の
『秋冬山水図』
などがある。
冬景
秋景
没したのは1506年(永正3)、享年八十七歳と言われている。
「涙で鼠を描いた」という話は、十七世紀後半に狩野派の絵師・狩野永納が書いた『本朝画史』に、「宝福寺に預けられた雪舟が絵ばかり描いていて仏教の勉強をしないので、師の僧が怒って、ある朝柱に縛りつけた。 夕方になって解いてやろうと見に行くと、雪舟の膝の下に鼠がいる。咬まれてはいけないと追い払おうとしたが動かない。よく見ると、雪舟が辛くて流した涙で描いたものだった」と書かれている。
3.作品
3.1 作品全貌
本図巻は左のような金泥で『雪舟筆真山水繪 一軸』と書かれた箱に入っている。 蓋をあけると、『雪舟筆』という題箋が書かれた巻物が入っている。長さが約16mあるので、太い。 巻物は17枚の紙が継ぎ足してあり、第一紙、第十六、第十七紙以外は、約106cmのもので、第一紙39cm、第十六紙41cm、第十七紙18cmとなっている。
左の題字をクリックして出てきた画像の右下隅に現れる
をクリックすると、画巻の全貌が見れます
。
3.2 作品詳細
図巻を15段にわけて掲載する。
各画像をクリックすると拡大します。
3.2.1
3.2.2
3.2.3
3.2.4
3.2.5
3.2.6
3.2.7
3.2.8
3.2.9
3.2.10
3.2.11
3.2.12
3.2.13
3.2.14
3.2.15