人物画

マウスを画像の上にのせると、簡単な解説が出ます。 蕭白の作品は、屏風絵、襖絵多く、大型の上に
米粒の大きさで描き込まれた微細画が特徴であるため
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林和靖図屏風  六曲一双
   紙本墨画淡彩  (各) 172 x 365   1760
右隻
蕭白三十一歳の作。 鶴と梅をことのほか愛し、隠遁の一生を過ごした宋代の詩人林和靖は画題としてファミリアーであるが、 この林和靖の表情は隠遁生活で枯れた姿ではなく、隠遁生活に倦み疲れた、病的ともいえる異常な表情をしている。
右隻からこの左隻まで延びた巨大な梅樹も異常である。
左隻

群仙図屏風   六曲一双
   紙本著色  (各) 172 x 378   1764
右隻
京都の京極家に伝えられたという。描かれたモチーフに、鶴や鯉、仙人、唐子があるため、生まれた子の長寿と出世を願って描かせたもの、と言われるが!。 とてもお目出度い絵と思えない。 さらに款記に室町時代の曽我蛇足の十世の後裔と称し、その上行年三十五歳と人を食ったサインをしている。
京都の京極家に伝えられたという。描かれたモチーフに、鶴や鯉、仙人、唐子があるため、生まれた子の長寿と出世を願って描かせたもの、と言われるが!。 とてもお目出度い絵と思えない。 どぎつい彩色といい、人物、背景とも、異様としか言いようのない。
左隻

久米仙人図屏風  六曲一隻
   紙本墨画  156 x 364    1759
蕭白三十歳の作品。 仙術で空を飛んでいるうち、足を洗っている女の真っ白な脛を見て我を忘れ、通力を喪って墜落した久米仙人。 近年、老人は唐代の人・龐居士であり、女はその娘の霊昭女と見るべきといわれるようになった。 禅宗絵画で好まれた龐居士と霊昭女を描くと見せ、久米仙人と美女を描いたのではないか。

群仙図屏風   二曲一双
   紙本墨画淡彩  (各) 160 x 175
葛玄と黄安。 葛玄にちなむ鯉と黄安にちなむ亀、そして松樹。
西王母と侍女、そして鳳凰と桃の木。 高貴さなど一欠けらもない、痩せたハゲワシのような鳳凰。 神性さなど見られぬうつけのような西王母。

寒山拾得図屏風  二曲一双
   紙本墨画   (各)  169 x 185   1759頃
拾得
寒山

唐人物図屏風   六曲一隻   三重・朝田寺
   紙本墨画  159 x 352    
三十代前半の作品。 もと六曲一双の片割れらしい。

唐人物図屏風   二曲一双   (もと襖)
   紙本墨画   (各) 168 x 182
後ろ向きが黄山谷、菊の蘺を背に琴を膝に置き酒盃をもつのが陶淵明。
欄干に手を置き蓮を眺めるのが周茂叔。 後ろ向きのひとは、蘇東坡を思わせる。

塞翁飼馬・蕭史吹笙図屏風   六曲一双
   紙本墨画   (各) 155 x 338    1759頃
「人間万事塞翁が馬」の故事。 塞翁の飼う馬がある日逃亡したが、、数ヶ月後、胡の駿馬を連れて帰って来た。 その後、息子が落馬して脚を折るという凶事があったが、ときに戦が起こり、息子はその脚の不具合ゆえ徴兵を免れた。 『世の吉凶禍福は決めがたい』という故事。 馬に餌を与えているのが息子。
笙を好くする蕭史が秦の穆王の娘を妻とし、二人で笙を吹くと鳳凰が飛んで来た。その後、妻は鳳凰に、蕭史は龍に乗って天に昇り去った。(『列仙伝』)

李白酔臥図屏風   六曲一双
   紙本墨図   (各) 170 x 360   1759
大きな瀧がすさまじい音を立てて流れ落ちる深山、童子が瓢箪をかついで歩きながら、その音に愕く。
李白の五言六句『友人会宿』の最後の二句「酔来臥空山 天地即衾枕」(大いに酔っ払ってしまい、人気のない山の中で倒臥すると、天と地が褥と枕になってしまうような感覚に陥る)を描いたのか。

群仙図屏風   四曲一隻    (もと四面の襖)
   紙本墨画   161 x 360
 蝦蟇・鉄拐図押絵貼屏風
   二曲一隻 紙本墨画
    (各) 120 x 52
気を吐く鉄拐仙人と蝦蟇仙人、侍女を従える西王母。 ここでは珍しく、楚々たる美人に描かれている。 依頼者からの注文か?  蕭白後期の作品・
蝦蟇仙人。 三国時代には葛玄、のちに五代後梁の劉海蟾をさす。 常に蝦蟇をもてあそぶ。 鉄拐仙人。 隋代の李玄という仙人。鉄拐は幼名。気を吐くと自分の姿が吹き出る幻術をつかう。

黄石公張良図屏風  四曲一隻   
   紙本墨画  162 x 264
  囲碁図屏風  二曲一隻   (もと襖)
     紙本墨画   166 x 175
漢の智将として名高い張良についての逸話。 若い頃の張良が土橋の上で老人と出会い、老人が水の中に落とした履を拾い捧げる。 老人から兵書を授けられた張良は、漢の軍師となった。 のちに老人は榖城の黄石に変じ、張良はその祠を建てた。
蕭白は酒もよく呑んだが、碁も大いに好きだったようだ。

飲中八仙図屏風    六曲一双
   紙本墨画   (各) 120 x 352
唐時代の酒を愛する雅人八人、賀知章・汝陽王・李適之・崔宗之・蘇晋・李白・張旭・焦遂。 彼らを杜甫が詠った「飲中八仙歌」は古来有名であり、数々の名画が生まれた。
唐時代の酒を愛する雅人八人、賀知章・汝陽王・李適之・崔宗之・蘇晋・李白・張旭・焦遂。 彼らを杜甫が詠った「飲中八仙歌」は古来有名であり、数々の名画が生まれた。

三酸図屏風  二曲一双
   紙本墨画   (各) 135 x 142
蘇軾(儒教)、黄庭堅(道教)、仏印(仏教)の三人が、同じ桃花酸をなめてともに眉をひそめる図をもって、かたちは違え、三教の目指すことの一致を教える。 普通には、孔子、老子、釈迦として描かれることが多い。 甕の桃花酸をなめているのが釈迦、童子を横に後ろ姿を見せているのが孔子、牛を引いて現れたのが老子である。
蘇軾(儒教)、黄庭堅(道教)、仏印(仏教)の三人が、同じ桃花酸をなめてともに眉をひそめる図をもって、かたちは違え、三教の目指すことの一致を教える。 普通には、孔子、老子、釈迦として描かれることが多い。 甕の桃花酸をなめているのが釈迦、童子を横に後ろ姿を見せているのが孔子、牛を引いて現れたのが老子である。

青砥藤綱・韓信図屏風   六曲一双
   紙本墨画   (各) 172 x 364
青砥藤綱、北条時頼・時宗の二代に仕えた武将。 ある夜、川を渡ろうとしたとき誤って十銭を落とした藤綱は、従者に命じて五十銭で松明を買わしめ、水面を照らしてその十銭を探し得たが、人は五十銭を使って十銭を得たことを嘲った。 藤綱は、十銭とはいえ、これを喪えば天下の損になる、五十銭は自分には損であっても、人を益するのである、といった。 戦前の終身教育に用いられた人物。 蕭白には似合わない画題。
韓信の股くぐり。

宇治川先陣争図屏風   六曲一隻
   紙本著色   134 x 362     1764 頃
『平家物語』の有名な一場面。 木曾義仲と源義経による宇治川の合戦で、義経勢の梶原景季と佐々木高綱が先陣を争った。 初めに宇治川に入ったのは梶原景季であったが、次いだ佐々木高綱が「馬の腹帯が伸びているようですぞ。 締め直し候らえ」と叫んだのに気を取られ、先陣を奪われた。

柳下鬼女図屏風   二曲一隻
   紙本墨画淡彩  154 x 153   1759 頃
  高砂図屏風  二曲一隻
     紙本墨図  151 x 133
柳の枝も折れよとばかりに吹き付ける木枯らしのなか、角の生えた三つ目の鬼女が、とぼとぼと裸足で力なく歩いている。
お目出度い高砂の図

唐人物図押絵貼屏風   六曲一双
   紙本墨画   (各) 134 x 54
飲中八仙図といっていいような図
飲中八仙図といっていいような図 飲中八仙図といっていいような図

許由・巣父図襖   四面
   紙本墨画   (各) 172 x 86   1767頃
第二次の播州滞在中の作品。 許由は、尭帝が天下を譲ろうといったのを聴き、頴川で耳を洗って身を箕山に隠したという。 一方、巣父は、かように汚れ果てた水は牛に呑ませたくないと引き返した、という。しかし、この絵では、許由はなぜか瀧水を愉快な顔をして手で掬うし、巣父の牛は抵抗して水を飲もうとしている。

竹林七賢図襖   八面   (旧永島家)   重要文化財
   紙本墨画  (各) 171 x 85    1764頃
蕭白らしい竹林七賢図。 雪景として描かれ、七賢人のうち最後に二人・山濤と王戎が袂を別つて去っていく場面をわざわざ描いている。 清談に時を過ごすという建前に潜む人間の業に蕭白は無関心でいられなかったのだろう。 35歳、第二次伊勢漫遊のときの作品。

老子・山水図   三幅
   紙本墨画  (各) 97 x 33
 関羽図   一幅
  紙本墨画 132 x 54 1768
 伯顔図  一幅
   紙本墨画  133 x 57
蕭白の四十代以後、京都に定住し、『平安人物志』に掲載されるようになった頃の作品。
関羽の美髯は好画題。  三十代終わりの頃の作品。
伯顔は元のフビライの功臣。 南宋を平定して帰還するとき、彼のてには一切の略奪物がなく、梅関を渡るとき手折ったただ一本の梅枝があっただけであったという高潔な武人。 入念微細な筆墨表現。

雪山童子図  一幅  
   紙本著色  170 x 125  1764
 周茂叔愛蓮図  一幅
  本墨画 111 x 52
 太公望図  一幅
 紙本墨画 129 x 54
 鉄拐図  一幅
  紙本墨画 127 x 28
釈迦が前世で菩薩として雪山で修行中、真理を聞くため鬼に身を投ずるという説話を描いたものだが、鬼は女のように見える童子を恐れているように見える。
中国宋時代の高士・周茂叔は、蓮の美をつねに愛した。 おそらく文人を自称する人からの注文であろう。 京都定住以後の作品であろう。
太公望図といわれている。 しかし、釣りも止め、なにやらぶつくさいいながら波の音を聞いているおとこはあの太公望なのか。
蕭白三十代初頭の作品らしい。

竹林七賢図  一幅
   紙本墨画  110 x 55
素直な竹林七賢人の図。

寒山拾得図  二幅   京都・興聖寺   重要文化財
   紙本墨画  (各) 197 x 115    1761~62 頃
寒山
拾得

達磨図   一幅
   紙本墨画   92 x 130
達磨図  一幅
  紙本墨画  121 x 55
牧童図  一幅
  紙本墨画  111 x 57
第一次の“伊勢漫遊”時代に注文に応じて描いた作品。 一筆描きの衣紋線に畳の目が残っていることから、即席画といわれるが、顔貌表現にはそれは見えず、即興画をよそおった作品であろう。
刷毛で描いた即興画。 「曽我蕭白鎮酔画」とあるが、「沈酔」画正しいのでは。
牧童である幼子が巨大な松の幹に登ろうとしている。 松樹の向こうに後ろ姿ですわる牛。 禅の公案か。 

後醍醐帝笠置潜逃図   一幅
   紙本著色  127 x 78    1764頃
美人図 一幅
  絹本著色  107 x 39
寿老人図  一幅
  紙本著色  134 x 58
1331、討幕に立った後醍醐帝が敗れ、笠置の山に逃れたという故事を描いたといわれる作品。 筆線と彩色は神経症的な、薄気味が悪い雰囲気、もっといえば、死の臭いがある。 異様な唇の赤さ、真っ白な桜の花びら。
うつろな眼、蹴出しから伸びた足の爪には泥がつまり、口は引き裂かれた手紙をくわる女。 恋に破れ狂気に陥った女。 女の腹がやや膨らんで見えるのは、画家の意図か。
お目出度い絵である。 しかし、よく見ていると、不安に満ちた絵ともいえる。

孔子図  一幅
  紙本墨画 127 x 53
   富山・大宝寺
柿本人麻呂図  一幅
  紙本墨画  126 x 56
   1767頃  兵庫・満福寺
紅葉狩図  一幅
  紙本墨画淡彩
   108 x 49  1769頃
18世紀後半の京都では陽明学左派の主張をよりどころに、「狂」こそが聖人に達する早道であると説くものがでてきた。 孔子は中道の士の次に「狂者」を置いたが、その逆転である。 ここに描かれたのは、「狂者」を位置付けた孔子その人である。
天保年間(1830-44)に城崎温泉の旅館の息子が、兵庫県養父の山中にある満福寺に修行に入った折りに持参し寄付したものという。 例によって、款記はものものしい。 
謡曲「紅葉狩」を題材にしたと云われるが、この絵の場面はない。  蕭白40歳頃の作品。