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タンカの起源は、インドの布絵仏画(パタ)が、ネパールあるいはシルクロード経由でチベットに伝えられたものと考えられており、タンカとは、チベット仏教で用いられる軸装仏画の総称である。 通常は、無地の綿布を素材にして、布目を白土と膠で潰して製作されるキャンヴァスに、顔料系の絵具で描き、布製の表装を施してタンカとする。 |
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2.1 チベット仏教における仏たち
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タンカの製作に当たっては、描かれる尊格によって尊像の身体の各部分の比率が厳格に定められており、このような各部分の比率の出し方を「補助線」(ティク)と呼び、補助線の引き方を説いたテキストを「ティクツア」と称している。このような聖像度量法(アイコノメトリー)は仏画師に必須の教養とされ、後には流派によって細部に到るまで詳細な規定が定められるようになった。
チベット仏教は、世界の宗教の中でも最も複雑な世界を有している。 これは、如来、菩薩といった通仏教的な尊格の他に、複雑に展開した密教仏や、多種多様な護法尊が含まれているからである。
仏教における尊格の分類法は大乗仏教の他に密教の伝承を持つ日本でも発展したが、平安時代末から鎌倉時代にかけて編集された「図像抄」などの仏教図像集において大成された。 それらは仏教の尊格を①如来、②仏頂、③菩薩、④観音、⑤忿怒(明王)、⑥天等(天部)と格付け分類している。
一方、チベット仏教では、一般に①祖師、②守護尊、③如来、④菩薩、⑤女性尊、⑥羅漢、⑦護法尊、と格付け分類されている。
チベット仏教では師資相承を重視するためラマ(上師)に対する帰依が力説されるため、①祖師の位置が極めて高い。 ②守護尊はチベット仏教に独自の範疇で、仏教伝来前の民族宗教(ボン教)の神々を自己の守り本尊としていたのが、土着の神々に代わって後期密教聖典の密教仏を主尊として成立したものである。 ③如来、④菩薩は、日本と大差ないが、チベットでは⑤女性尊の数が多いので一つの範疇を構成している。 さらに⑥羅漢は、日本の十六羅漢に相当する。
なお、⑦護法尊は仏教に帰依して教法を護持する任務を持つ尊格で、多くはヒンドウ教の神々で、毘沙門天、大黒天、歓喜天、弁財天など、日本の⑥天部と共通する尊格が多い。 |
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2.2 タンカの主題
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 タンカの主題は、後述の「曼荼羅」と「ツォクシン」を描いた作品もあるが、通仏教的なモチーフを描いたものの方が多い。 これらは、キャンヴァスの中央軸線上に、本尊が大きく描かれ、通常本尊の上下左右にも尊格を描いて、上下左右がほぼ対称の画面を構成する。
なお、タンカにおいては、前述の①祖師から⑦護法尊まで、すべての尊格が本尊になることができる。 このうち画面上部には本尊と関係が深い尊格が描かれる。 たとえば、観音を本尊とする作品では、上部に阿弥陀如来を、下部には護法尊など比較的地位の低い尊格が描かれる。 |
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2.3 曼荼羅
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チベット仏教美術の中で最も特徴的なジャンルが「曼荼羅」と「ツォクシン」である。
「曼荼羅」とは、如来、菩薩、護法尊などの尊格を一定の幾何学的パターンに配置し、仏教の世界観を図示したものである。 インドでは、密教が成立する六世紀頃から、三尊形式が発展して曼荼羅の原初形態が現れ、密教の発展にともない、しだいに組織的で大規模な曼荼羅が形成されるようになった。 チベットに伝えられる曼荼羅は後期密教系のものである。
チベットの曼荼羅は、チベット仏教で一般的な①所作、②行、③瑜伽(ヨーガ)、④無上瑜伽、の四分化されたタントラ(実践面の規約に重点をおいた聖典)に従って分類される。

①所作タントラは、インドで比較的初期に成立した密教聖典で、呪文、諸仏の供養の仕方、手印の結び方などの作法を主な内容とする不空羂索経などの経本を中心にする聖典である。
七仏薬師、日光、月光菩薩、十二神将、四天王など、が方形の楼閣の中に整然と配置された曼荼羅が多い。
②行タントラは、インドで七世紀後半に成立した「大日経」とその部類の密教聖典であり、外的、身体的行為である儀礼を重視するとともに、儀礼の内化あるいは精神化をも推し進めた経典である。
曼荼羅をつくり、それに基ずいた観想法を行った。 観想法とは、精神集中によって眼前に神や仏をあたかも実在するかのように、ありありと見ることができるようにすることである。
行タントラの曼荼羅は胎蔵曼荼羅に代表されるが、チベットでは非常に珍しい。 九世紀 空海が持ち帰った両界曼荼羅の一つ“現図胎蔵界曼荼羅”は、中国でまとめられたものであるが原典である「大日経」の所説に忠実に描かれているといわれる。
“現図胎蔵界曼荼羅”およびチベットに伝えられる大日経曼荼羅にはヒンドウ教の神々が数多く現れており、行タントラ系の仏教がヒンドウ教から強い影響を受けていることを示しているといわれる。 しかし、③、④では、こうしたヒンドウ教的色彩は影をひそめる。
③瑜伽タントラは、八世紀前半に成立した「金剛頂経」とその部類の密教聖典である。 瑜伽タントラの実践においては、行者は仏たちを観想法によって眼前に出現させ、その仏たちを供養するに止まらず、仏たちと「一体になる」ことを感得することを目的とする。
根本の曼荼羅は金剛界曼荼羅で、空海の両界曼荼羅の“金剛界九会曼荼羅”もその一つである。
④無上瑜伽タントラは、インドで八世紀後半以後、「金剛頂経」系の密教が発展して成立した後期密教の聖典群である。 高度の精神・生理的な瑜伽の技術を用いながら、瑜伽タントラで獲得された方法を推し進める。 実践形態では、骨・皮・血の儀礼といった、従来は仏教とはあまり接触のなかった土着文化の要素も積極的に取り入れられた。 性に対する考え方も変化し、性は抑圧すべきもの、切り捨てるべき「俗なるもの」ではなく、肯定すべき「聖なるもの」という考え方も現れ、性行為が悟りを得るための手段として用いられるようにもなった。無上瑜伽タントラの曼荼羅では、男女尊が抱擁し合う父母仏が描かれることが多い。
曼荼羅の表現方式は、タンカ形式のみならず砂曼荼羅がある。 インドでは土檀の上に、鉱物を砕いた顔料で彩色する土檀曼荼羅が正式とされていた。 我が国でも密教伝来の直後、最澄が土檀を築いて曼荼羅を描いたとの記録があるが、次第に絵画で代用されるようになった。 なお、日本密教で灌頂で用いる「敷曼荼羅」は、この土檀曼荼羅の名残を留めるものである。
チベット仏教では、着色した砂で描く砂曼荼羅が今日でも製作されている。 曼荼羅は世界を尊格に置き換えた世界図・宇宙図となっており、砂曼荼羅は製作と破壊のプロセス自体が、世界の生成と消滅になるようになっている。 |
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2.4 ツォクシン
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 曼荼羅と並んで、チベット仏教美術の代表的なジャンルにツォクシンがある。 ツォクシンには、「集会の樹木」と「資糧の田」の二つのカテゴリーがある。 前者は自らが師事するラマを中心に、三世の諸仏や歴代のラマ、守護尊、護法尊などを樹木の形に集会するという形態をとり、後者は、これを観想し礼拝供養することが無限の福徳資糧の田になるという、功徳の面から見たものである。
仏教では、福徳と智慧を悟りを得るための二つの糧と呼ぶ。いかに甚深な法に巡り会っても、十分な福徳を積んでいなければ成就することは難しい。 そこでインド仏教では、阿闍梨に莫大な施物を献じて、弟子の福徳の足りない分を補うという慣習が生じた。 しかしながら弟子の財力に限りがあるため、教法を伝えた歴代ラマの功徳を一身に具現した姿として拝し、それを供養する福徳をもって、菩提の資糧とする風習がおこった。 このような観想のプロセスを、絵画で表現したものがツォクシンである。
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参考文献:田中公明著「タンカの世界」山川出版社刊
マンダラ研究会著「マンダラ」新國民社刊 |