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新約聖書は、50〜150年頃に書かれた27の文書からなる。それらは、地中海周辺世界におけるキリスト教の共同体の信仰と生活について扱っている。その内のある文書、特に「マタイによる福音書」と「ヘブライ人への手紙」には、アラム語の底本が存在したと推測する学者たちもいるが、すべての文書がギリシャ語で伝わっている。いずれも最初からギリシャ語で書かれたという可能性がひじょうに高い。
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7.1 本文、正典、初期の翻訳 |
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一時、キリスト教の学者たちは、新約聖書のギリシャ語は特別な種類の宗教的言語であり、キリスト教の信仰を表現するための適切な媒体として、摂理によって与えられたものだと考えた。しかし今では、同時代の聖書以外の文書から、新約聖書の言語が「コイネー」とよばれる通俗的なギリシャ語であり、家庭や市場でももちいられていたことが明らかになっている。
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7.1.1 写本と本文批判 |
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完全な形をとったものや、部分や断片の形で現在まで残されている新約聖書の写本は、5000ほどもある。しかしそれらのいずれも、著者の自筆ではないし、もとのままの形でもない。おそらく最古のものは、120〜140年ごろの「ヨハネによる福音書」の断片だろう。時代の違いや、書かれた場所の相違や、書くための道具や方法の違いを考えてみれば、これらの写本が非常によく一致していることは、はなはだ注目に値する。しかし、そこには欠落、加筆、用語の違い、言葉の順序の相違など、様々な食い違いも見出される。
様々な写本を比較し、評価し、年代付けし、それらを幾つかの系統に分類し、著者が書いたものに最も近い本文を確定することは、本文批判学者たちの使命である。その際には、初期の教父たちの著作にみられる膨大な数の引用や、一連の初期の他言語訳が助けになる。
本文批判学者たちの努力の成果が、ギリシャ語新約聖書の校訂本であり、そこには最良のものと判断された本文だけでなく、主要な写本にみられる異読についての注釈も合わせてのせられている。そのような異読の重要なものが、翻訳聖書の脚注につけられる場合もある(たとえば「マルコによる福音書」16章9〜20節、「ヨハネによる福音書」7章53節〜8章11節、「使徒言行録」8章37節など)。ギリシャ語新約聖書の批判的校訂本は、16世紀のオランダの学者エラスムスのもの以来、一定の期間をおいてほぼ定期的に新しいものが出版されている。
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7.1.2 正典化以前の文書 |
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新約聖書の27の文書は、1〜3世紀に書かれたキリスト教の共同体の文書のほんの一部分にすぎない。新約文書の主要な類型(福音書、手紙、黙示録)は、ひろく模倣され、模倣書には使徒たちやその他の重要な人物の名前が冠された。それらの書物には、新約聖書が沈黙している事柄(たとえば、イエスの幼・青年時代)を扱ったものや、より多くの奇跡を求める声に応じたものや、より完全で新たな啓示を示すという触れ込みのものがある。当時、約50もの福音書が流布していたらしい。これらの非正典キリスト教文書は、近代以降あつめられ、「新約聖書外典(アポクリファ)」として出版されている。
この時代の文学についての知識は、1945年にエジプトのナグ・ハマディで、異端的キリスト教集団グノーシス派の諸文書が発見されたことにより、一挙に増加した。コプト語で書かれたこれらの文書は、その後、翻訳されて出版された。学者たちの注意は、とくに「トマス福音書」に集中している。そこには、イエスが十二使徒のひとりトマスに私的に伝授したと称される、全部で114の言葉が含まれている。
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7.1.3 正典 |
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キリスト教の公認正典を決定する際の判断基準や、正典化の経過について記録した資料は、何も残されていない。イエスとその弟子たちにとっては、ユダヤ教の「律法」と「預言者」と「諸書」がそのまま「聖書」だった。ただし、それらの文書の解釈は、弟子たちが理解したかぎりでのイエスの業(わざ)、言葉、人格によって規定されている。
イエスの業と言葉を保存し、宣教を継続した使徒たちは、特別の権威をもつ者とみなされた。たとえばパウロは、自分の手紙が教会で朗読されたり、さらには教会間で回覧されることさえ期待しているが(「コロサイの信徒への手紙」4章16節、「テサロニケの信徒への手紙一」5章26節以下など)、このことは、キリスト教の共同体内部で、信仰と生活の新しい規範が発展しつつあったことをしめしている。そしてその規範は、「主」(福音書に保存されている)と「使徒」(主として手紙に保存されている)の2本の柱からなる。
初期の教父たちの引用や言及を手掛かりに、新約聖書の正典形成の展開をたどろうとしても、不確かな試みしかなしえない。あまりにも多くのことが沈黙の中に隠されているからである。正典を確定しようという最古の試みは、150年ごろ、マルキオンという名の異端的なキリスト教徒によってなされたらしい。彼が許容した文書の表には、「ルカによる福音書」とパウロの手紙だけが含まれており、それらには強度の反ユダヤ主義的な編集が加えられていたらしい。おそらく、このマルキオンへの反発が、正典形成にむけての運動の広がりを加速化したのだろう。
200年頃までには、新約聖書の27の文書のうち20が、権威あるものとして広く受け入れられるようになっていたようである。そこここで、地域的な偏愛がみられたし、東方教会と西方教会でも違いがあった。全体としてみれば、一時は正典性に賛否両論があったが、結局受け入れられた文書として、「ヤコブの手紙」「ヘブライ人への手紙」「ヨハネの手紙・3」「ユダの手紙」「ペトロの手紙・2」「ヨハネの黙示録」がある。他方で、ひろく愛好されたが結局は正典入りを拒否された文書に、「バルナバの手紙一」「クレメンスの手紙」「ヘルマスの牧者」「使徒たちの教訓(ディダケー)」がある。
アレクサンドリアの司教アタナシオスが、367年に自分の管轄下にあった諸教会に送った「第39復活祭書簡」は、新約聖書正典の範囲に関するあらゆる曖昧さに終止符を打つものだった。毎年の四旬節のメッセージを集めた書簡集に収められているこの「復活祭書簡」は、正典とされるべきものとして27の文書を挙げており、それが結局、新約聖書の内容として残されたのである。ただしアタナシオスは、現在のものとは異なる順序でそれらを挙げている。
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7.1.4 初期の翻訳 |
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新約聖書はギリシャ語で書かれたため、本文の伝承や正典の確立について論じる際には、初期の翻訳の問題が度外視されがちである。しかし、それらの翻訳のいくつかは、現存する最古のギリシャ語本文よりも古いのである。
キリスト教がギリシャ語圏をこえて急速に広まったため、必然的に、シリア語訳、古ラテン語訳、コプト語訳、ゴート語訳、アルメニア語訳、グルジア語訳、エチオピア語訳、アラビア語訳などがつくられた。シリア語訳と古ラテン語訳は2世紀にまでさかのぼるし、エチオピア語訳は3世紀には始められていたらしい。これらの初期の翻訳は、けっして公式の翻訳ではなく、礼拝や説教や教化にもちいるための地域的な必要性に応じて生まれたものである。したがってそれらの訳には、地域の方言が入り混じっており、新約聖書の抜粋というものもしばしばある。
4〜5世紀には、これらの地方的な翻訳にかわって、より標準的でより広く受け入れられうる翻訳版をつくろうという努力がなされた。382年、教皇ダマスス1世は、ヒエロニムスにラテン語版聖書をつくるように委託した。こうして生まれたのがいわゆるウルガタ訳聖書であり、それは結局、より古いラテン語本文を駆逐することになる。5世紀には、それまで広く愛用されてきたシリア語訳にかわるシリア語ペシッタが成立する。このような場合の常として、古い訳はゆっくりと様々な困難を伴いながら、新しい訳に取って代わられた。
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7.2 新約聖書の諸文書 |
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文学という視点からみれば、新約聖書の諸文書は、4つの主要な類型にわけられる。すなわち、福音書、歴史、手紙、黙示録である。このうち、キリスト教の共同体でつくられた固有の文学類型は、福音書だけだと思われる。

福音書が扱う時代 マタイ、マルコ、ルカそしてヨハネの4福音書は、イエスの生涯の異なる時期の異なる出来事を扱っている。この表のように、マタイ、ルカによる福音書はイエスの誕生からを、マルコ、ヨハネの福音書はイエスの洗礼からの時代を扱っている。また、見方、解釈の仕方などの点で、ヨハネによる福音書だけが、他の3福音書とくらべて際だった違いを示している。
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7.2.1 福音書 |
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福音書は、ギリシャ・ローマの人間や神々を主人公とする伝記にある意味で似ているが、けっして本来の意味での伝記ではない。福音書は、イエスの業(わざ)と言葉についての個々の記述を集めたものであり、各記述はそれ自体で相対的な完結性をもつが、全体でひとつのクライマックスをなすような仕方で配列されている。福音書の著者たちは、時間的順序にある程度関心をもっているようにはみえるが、それは第一の関心とはいえない。素材の配列に大きな影響を与えているのは、神学的な関心と読者のための必要性である。
それ故、4つの福音書はすべて、ナザレのイエスを中心に据え、福音書という形式をそなえてはいるが、それでもなお、各書の間に様々な違いがあることが当然のこととして予想される。実際に、そのとおりなのである。4書の記述が驚く程よく似ているイエスの逮捕、裁判、死と復活をのぞけば、福音書は、重要な細部、見方、解釈上の強調点の置き方などに関して、それぞれ異なっているいる。
これらの点で、4書中もっとも目立った相違を示しているのが、「ヨハネによる福音書」である。この福音書では、イエス・キリストは、より明確に神的存在として、全知者として、すべてを統御する存在として、「上から」きた者として描かれている。他の3つの福音書は、数々の相違にもかかわらず、3つをならべて比較できることから、「共観福音書」と呼ばれている。
「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」の各書は、非常に多くの共通性や類似性を示すので、それらの相互関係について数多くの理論が提唱された。学者たちの間でもっとも広く受け入れられている見解は、「マルコ」が最初に書かれ、それが「マタイ」と「ルカ」の執筆のための資料として用いられた、とするものである。また「マタイ」と「ルカ」は、それぞれ別の資料を用いているだけでなく、もうひとつ、共通の資料を用いているという可能性が高い。このことは、「マタイ」と「ルカ」に、「マルコ」にはみられない共通の素材が数多く見出される、という事実から推測できる。
この理論上の、まだ現物が発見されていない資料は、単に「Q資料」(ドイツ語のQuelle「資料」に由来)と呼ばれている。「ルカによる福音書」の著者は、その序文で、自分はイエスについての数多くの文書を調べた、と記している(1章1〜4節)。
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7.2.2 歴史 |
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新約聖書における歴史物語の代表は、「使徒言行録」である。この書物は、ルカが書いたとされる2巻本の書物(しばしば「ルカ・言行録文書」と呼ばれる)の第2巻にあたる。この2冊は、イエスの物語と彼の名によって立てられた教会の歴史を、ひと続きのものとして記述するとともに、それらをイスラエルの歴史とローマ帝国の歴史の中に位置づけている。歴史の描き方は神学的であり、神が出来事の中で、もしくは主人公たちとともに、いかに行為したのか、という解釈をしめしている。「使徒言行録」は、歴史記述を宣教という目的のために用いているという点で、新約聖書の中でも独自のものである。
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7.2.3 手紙 |
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ギリシャ・ローマ世界の手紙は、書き手の署名、あて名、安否を問う挨拶、称賛ないし感謝の言葉、メッセージ、別れの挨拶などからなる、かなり画一化された文書形式をもっていた。パウロは、彼がたてた諸教会との連絡のために、また遍歴する使徒にとって便利な通信手段として、手紙を愛用した。手紙という形式は、その後キリスト教の共同体では広く受け入れられ、教会の指導者や文筆家の間でも用いられるようになった。彼らが書いた手紙の一部は新約聖書にも収録されているが、手紙というのは外見上のことで、実質的には説教や勧告や論説である。
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7.2.4 黙示文学 |
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黙示的描写は新約聖書全般にみられるが、もっとも大規模に展開されているのは、「ヨハネの黙示録」においてである。黙示文学は通常、教団にとって切迫した危機の時代、すなわち人々が現在をこえた彼方に目をむけ、人間の力を越えた助けと希望を求めるような時代に書かれるものである。この文学は非常に幻想的、象徴的であり、世界の状況に対し悲観的であり、現世を越えた霊界と歴史を越えた勝利のみに希望を託す。そこでは公正な裁きと報償が世の終わりの幻想を特徴づけている。「ヨハネの黙示録」は、ローマ皇帝ドミティアヌス(在位、後81〜96)のキリスト教迫害の最中に書かれたらしい。
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7.2.5 文学類型 |
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これらの4つの主要な文学類型の内部では、さらに、詩歌、賛歌、信仰告白定式、格言、奇跡物語、「幸い」の言葉、ディアトリベー(人生の諸問題をめぐる議論の形式)、徳目表、たとえ話など、多種多様な文学類型が用いられている。最近の聖書学では、文学類型に大きな関心を示している。文学類型は、内容の理解にとって不可欠なだけでなく、読者が特定の章句によってつくりだされる体験を共有するための媒介でもあったからである。類型には、世界をつくりだしたり、関係を規定したりする力がある。それらは決して、内容の単なるアクセサリーではない。
過去の聖書研究者の著作では、多くの注意がたとえ話に注がれ、それらはアレゴリー(寓意)として解釈された。しかし19世紀の末に、ドイツの聖書学者アドルフ・ユーリッヒャー(1857〜1938)が、新約聖書のたとえ話はアレゴリーではなく、リアルな直喩であると主張し、たとえ話の解釈に新局面を開いた。彼は、イエスのたとえ話は絵解き物語と理解されるべきであり、その意味は単一の主題ないし命題に言い換えることができると考えたのである。
最近では、たとえ話が文芸的な作品であり、詩と同様の力と機能をもつものとみなされるようになっている。したがってたとえ話を、言い換えや要約の摘要によって破壊してはならない、と主張される。文芸としてのたとえ話は、たんに要点を伝えようとするだけではなく、読者に様々な働きかけを行う。すなわち、特定の人生観や世界観をつくりだし、あらためさせ、さらには粉砕するのである。新約聖書のほかの文学類型についても、学者たちの研究が進みつつある。
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7.3 新約聖書における歴史 |
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新約聖書は、歴史的具体性から隔絶した格言や思索や瞑想の集成ではない。反対に、そこに含まれた諸文書は、ナザレのイエスという歴史上の一人物に焦点を絞っており、ローマ帝国の支配する歴史の様々な脈絡の中で、イエスの弟子たちが直面した諸問題について扱っている。ただし、歴史的な出来事、人物、状況への関心は、新約聖書が純粋な歴史的・年代学的関心に支配されているということを意味しない。
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7.3.1 大まかな年代学的輪郭 |
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洗礼者ヨハネからヨルダン川の河辺で洗礼をうけたあと、イエスは3年間の宣教活動をはじめ、ユダヤとガリラヤ地方をすみずみまで旅した。それは現在のイスラエルの一部とヨルダン川西岸地域にあたる。宣教の最後に、イエスはエルサレムへむかい、ここで十字架にかけられた。
新約聖書の諸資料に描かれた歴史を再構成する試みは、数々の困難に突き当たらざるをえない。
第1に、諸文書は年代学ではなく、神学的な原理にもとづいて配列されている。福音書が最初におかれているのは、イエスの物語を語るものだからである。しかし、それらが書かれたのは後70〜90年であり、イエスの死後60年近くも後のことである。「使徒言行録」も同じ時代に書かれた。これに対し、パウロの手紙は最も早い時期のもので、伝道旅行を行っていた後50〜60年に書かれた。残りの諸文書は、90〜150年に書かれたものであり、使徒時代より後の教会の状況を反映している。
第2に、諸文書は、年代誌としての歴史にあまり関心を寄せてはいない。その理由のひとつは、歴史の終末が差し迫っていると信じられていたからである。
第3に、新約聖書は単一の書物ではなく、礼拝や説教や教化や論争といった特別の目的のために保存された、教会がつくった集成なのである。
第4に、諸文書は、いずれもキリスト教信仰の擁護者により、宣教や教育のために書かれたものである。したがって、それらの文書は、歴史的な言及を含んではいるが、決して歴史的報告そのものではない。
以上のような困難に加えて、同時代の聖書以外の史料には、イエスや彼の弟子たちについてほとんど言及がないという事実がある。それ故、詳細な歴史をかたる可能性は、ますます遠のいてしまうのである。
それにもかかわらず、大まかな年代学的輪郭については、学者たちの間で一般的な合意がなりたっている。主たる手掛かりを与えてくれるのは、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」である。それらは、イエスの物語と教会の始まりの物語をユダヤとローマの歴史の脈絡の中に置こうとしているからである。
「ルカによる福音書」は、イエスの宣教の始まりが皇帝ティベリウスの治世第15年だったと述べている(3章1節)。これは、後28〜29年に当たる。4つの福音書はすべて、イエスの十字架刑はピラトがユダヤの総督だった時代(後26〜36)のことだったと語っている。したがってイエスの宣教は、それがたった1年間だったという見解によれば、29〜30年までであり、3〜4年間だったとする理論にしたがえば、29〜33年までだったことになる。
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7.3.2 誕生物語 |
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公的生活を開始する前のイエスについては、ほとんどなにも知られていない。イエスの出身地はガリラヤのナザレだが、「ルカによる福音書」と「マタイによる福音書」は、彼がかつてのダビデの故郷、ユダヤのベスレヘムで生まれたと語る。イエスの誕生物語と幼年物語を含んでいるのはこの2書だけである。しかし、両者の記述はいくつかの点で異なっている。
「ルカ」(1章5節〜2章52節)は、この物語を旧約聖書から敷衍された詩や歌をもちいて語っており、貧しい者、虐げられた者に対する神の配慮を強調している。「マタイ」(1章18節〜2章23節)は、イエスの誕生を、旧約聖書のモーセの誕生を雛型として描いている。モーセが幼年時代、エジプトの富裕な人々と賢者の間で育ったように、イエスもまた、富と知恵に恵まれた人々(東方の賢者)の訪問を受け、彼らに崇敬される。モーセが、イスラエルの幼児たちを殺そうとする邪悪な王から隠されるように、イエスもまた、ヘロデ大王の虐殺をまぬがれる(ちなみに、ヘロデは前4年に死んだので、イエスはおそらく前6年と前4年の間に生まれたものと思われる)。
新約聖書のその他の文書は、イエスの奇跡的な誕生については沈黙を守っている。教会史を通じて、あるキリスト教徒は、イエスの誕生物語を文字どおりの意味で理解するべきだと主張し、他のキリスト教徒は、イエスが神の子であるという信仰を表現する多くの仕方のひとつに過ぎないと主張する。新約聖書には、報告者自身による出来事の描写なしに、出来事の意味だけを宣言する傾向があるので、歴史的問題に携わる人々の間に多くの異論の余地を生んできたのである。
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7.3.3 使徒と初期教会 |
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4つの福音書に記されたイエスの宣教につづいて、彼が使徒として選んだ12人の人々が宗教運動の主導権を握る。12人のほとんどについては、詳しいことがよく分からず、伝説的要素が入り交じっているが、そのうち3人の人物が永続的な指導者として言及される。
まずヤコブ。この人物は、ヘロデ・アグリッパ1世によって殺された。それは、ヘロデ自身が死ぬ後44年の少し前のことだった。次にヤコブの兄弟ヨハネ。彼は高齢まで生きのびたらしい(「ヨハネによる福音書」21章20〜24節)。そしてペトロ。彼はエルサレム教会の初期の指導者だったが、何度かの伝道旅行も行い、伝説によれば、60年代の中ごろにローマで殉教した。
この3人にくわえて、イエスの兄弟ヤコブがエルサレム教会の有力な指導者だったが、後61年に集団暴行によって殺された。66年にエルサレムでローマ帝国に対する反乱がはじまる前に、キリスト教徒たちはこの町を脱出し、70年に鎮圧されたこの暴動にはくわわらなかった。
「使徒言行録」の記録で最も注目を集めているのは、パウロである。彼はタルソス出身のユダヤ人で、後33〜35年ごろキリスト教に改宗した。14年間の沈黙期間の後、シリア、ガラテヤ、小アジア、マケドニア、ギリシャへの伝道旅行を行いながら、手紙を記しはじめ、60年代前半にローマで死んだらしい。パウロの手紙と「使徒言行録」は、初期キリスト教の共同体の生活と、より大きな諸文化との関係を理解するための幾つかの手掛かりを与えてくれる。
新約聖書の残りの諸文書は、歴史的情報をほとんど含んでおらず、正確な成立年代もさだかでない。全体として、第2世代、第3世代の共同体によって書かれたものと考えられている。それらの文書では、イエスの直接の弟子たちは既に死に、初期の熱狂と、キリストが歴史を終わらせるために再臨することへの篤い期待はもはや萎みつつあり、組織の存続と強化、制度化の必要性が明白なものとなっている。また、異端者や背教者が指摘され、攻撃されており、信徒にはきたるべき迫害にそなえて、信仰の強固さが要求されている。
新約聖書中おそらく最後に書かれた「ペトロの手紙二」は、歴史の終わりが間近に迫っているという初期の待望を回復させようと、多大な努力を注いでいる。過去の情熱と確信を復興させようというこのような努力そのものが、ひとつの時代の終わりを表わしているのである。
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7.4 新約聖書の主要諸主題 |
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旧約聖書と同じように、新約聖書もまた、多様で豊富な内容の主題をもつ。
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7.4.1 神 |
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神についての教え以上に、旧約と新約の連続性や一貫性を示すものは他にない。イエスの神や初期教会の神がユダヤ教の神とは別のものだとする見解は、すべて異端としてしりぞけられた。新約聖書の神は、生きとし生けるものすべての創造者であり、宇宙の維持者である。万物の源泉であり最終的目的であるこの唯一の神が、主導権を握り、愛をもってすべての人類を求めている。この神は、神に応答する者たちと契約関係に入り、正義と慈しみ、裁きと許しをもって彼らに対する。
この神は、世界に証人を残さずに隠れているようなことはしない。むしろ、様々な仕方で、また様々な場所で、繰り返し自己を啓示してきた。しかし、新約聖書は、ナザレのイエスにおいて無比の仕方で神の啓示がなされたと主張する。イエスの人格、言葉、業(わざ)は、信徒たちを神の臨在に導くものと理解された。まだユダヤ教の枠内にあった時代に、教会は神への信仰を受け継ぎつつ、神の啓示者としてのイエスをそのメッセージの中心に据えた。しかしやがて、ユダヤ教の枠を越えて、唯一の真なる神への信仰がキリスト教の宣教の基礎となった。
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7.4.2 イエス |
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新約聖書はイエスについての理解を、その称号と人格についての描写、言葉と業の記述をとおして提示している。旧約聖書はユダヤ教の文脈の中で、弟子たちにとってのイエスの意味を伝える称号とイメージを、新約聖書の著者たちに提供した。たとえばイエスは、モーセのような預言者として、ダビデのような王として、約束されたメシアとして、第2のアダムとして、メルキゼデクのような祭司として、「人の子」のような黙示的人物として、「イザヤ書」にえがかれた苦難のしもべとして、そして神の子として描かれる。
ヘレニズム文化は、これとは別のイメージを提供した。すなわち、先在の神的存在が地上に降臨し、自分の使命をなしとげたあと、栄光のうちにかえっていくというイメージ、あらゆる王や皇帝を越えた君主、創造と贖(あがな)いの永遠の仲介者、すべての被造物を自分のもとに集め、一体となった調和の中にたもつ宇宙的な主宰者、といったイメージである。
福音書は、イエスの宣教を、この世における神の臨在として描き出す。イエスの言葉は、神の言葉と、神の民にとっての神の道を啓示する。イエスの業は、身体と心と霊の健全さをもたらす神の癒しの力を証明する。イエスの受難と死は、神の無限の愛の証とする。イエスの復活は、イエスの人生と死とメッセージを神が受け入れたことの印である。
パウロやその他の著者たちは、イエスの死は、人類の罪のための犠牲であり贖罪行為だったと論じ、イエスの復活は、彼の信徒たちの復活の保証であると主張した。迫害中に書かれた諸文書(「ペトロの手紙一」「ヨハネの黙示録」)は、イエスの受難を、殉教するキリスト教徒の模範として解釈している。
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7.4.3 聖霊 |
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イスラエルの預言者の何人かは、「終わりの日」に神が全人類に神の霊をそそぐだろうと預言した。新約聖書は、この約束がイエスの時代に成就したと主張する。そのため新約聖書では、神の活動的な臨在をえがく表現として、「神の霊」という語が至る所で用いられる。これは、場合によって「霊」「聖霊」「弁護者」「キリストの霊」「真理の霊」など、様々な呼称で呼ばれる(
三位一体)。
聖霊はイエスを力づけ、また、イエスがはじめた業と教えを教会が継続することを可能にする。聖霊はまた、個々の信徒の中に、キリスト者としての生活に相応しい質をもたらし、共同体の福祉のために働いたり、仕えたりする素養を与える。当然のように、「霊」というカテゴリーは多様な解釈を生み、多くの教会でいろいろな問題を引き起こしてきた。新約聖書には、聖霊が会衆や個人に本当に影響を与えているのかどうかを決定する、明瞭な基準を見い出そうとする苦闘が反映している。
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7.4.4 神の国 |
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新約聖書によれば、イエスの中心的なメッセージは、神の国だった。イエスは、「近づきつつある」神の国のために、悔いあらためて準備するように説いた。神の国とは、神の王的統治ないし支配のことであり、イエスの宣教では、この神の支配がすでに現実のものとなっていると宣言される。しかし、神の国の臨在は、まだ完全で最終的な形をとっているわけではない。だからこそ、神の国の到来は、あたかも未来の出来事であるかのように語られるのである。
新約学者たちは、イエスと彼の弟子たちが、自分たちの時代に神の国が完全な形で到来すると信じていたかどうかについて、議論をつづけてきた。この論争が未解決であることは、神の国についての新約聖書の教えを特徴づけるためにしばしばもちいられる、「すでに……」と「いまだに……ない」という2つの言葉に集約的に表現されている。
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7.4.5 救い |
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神の国が、教会のメッセージの中心主題でありつづけることはなかったようにみえる。新約聖書によれば、教会は、自己を神の国と同一視したわけではなく、説教の中で、それとは別の仕方での救いについて語りはじめた。通常「救い」という語は、神と和解した関係におかれることを意味し、すでに和解に達していると同時に、和解をさらに進める共同体への参加を意味する。この意味で、救いはすでに現実のものとなっていると同時に、まだ完全なものではない。救いの完成とは、この世の特徴である争い、虚しさ、死の束縛を越えた、完全な命にあると云わねばならない。
パウロは、神の目的が究極的に完成するとき、宇宙的な規模での救いが実現すると信じた。贖(あがな)いの範囲は、創造の範囲と一致するはずである。このことはすなわち、新約聖書によれば天、地、地下の世界に棲むという敵対的な霊力さえ、最終的には、神の慈しみにあふれる計画と調和的関係におかれることを意味する。終末についてのこの幻想は、「ヨハネの黙示録」のそれとはことなっている。後者によれば、世の終わりは、聖者たちの義認および報償と、悪人たちの断罪によって特徴づけられるからである。
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7.4.6 倫理 |
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時とともに、キリスト教徒は、自分たちが神と和解していることを、行動や人間関係の中で示すように求められるようになった。宗教的信仰と道徳的・倫理的行動の間に不可分の関係があるというのは、新約聖書全体の教えであるとともに、旧約聖書から受け継いだ遺産でもある。「律法」も「預言者」も「諸書」も、この点を力説したし、新約聖書もこの強調点を継続した。
倫理的な生活は、正しい生き方、聖なる生き方、神的な生き方、敬虔な人生など、様々な表現で語られる。新約聖書の諸文書は、内面的な意味のみならず、隣人や敵対者や家族に対して、主従関係に関して、政府の役人に対して、神との関係について、倫理的な生活に関わる数多くの教示に満ちている。教示のもとになっているのは、旧約聖書、イエスの言葉と行い、使徒の命令、自然法則、家庭内の義務の一般的なリスト、ギリシャの道徳家たちの理念などである。これらの典拠はすべて、究極的には唯一の神を源にしていると理解されている。神は、自らの信義が、和解して神の家族となった人々の中の同じような信義によって応えられることを期待して止まない存在なのである。
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| 8.聖書の近代語訳 |
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ヨーロッパ諸国で部分的に行われていた聖書の各国語訳が、思想的にも文化的に大きな役割を果たすのは、16世紀以降の宗教改革との関連においてだった。それ以前には、カトリック教会の典礼でラテン語の聖書がもちいられ、聖書の知識が一部の聖職者や知識人に独占されていたのに対し、宗教改革は基本的に「聖書のみ」に権威をみとめ、聖書を民衆に開放することを目指すものだったからである。また、ルネサンス期における活版印刷の発明が、各国語聖書の普及に拍車をかけたことも忘れてはならない。
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8.1 ドイツ語訳 |
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ドイツでは、宗教改革の創始者ルターが、迫害中に庇護者の城にかくまわれながら、まず新約聖書を(1522)、ついで旧約聖書と続編(アポクリファ)をふくむ聖書全体を翻訳、出版した(1534)。ルター訳聖書は、その後多くの改訂を加えられ、現代語に直されながら、現在でも広くドイツ語圏でもちいられている。近・現代になると、学問的聖書研究の成果を折り込んだ「チューリヒ聖書」(1931)や、カトリックを中心とした翻訳委員会による「統一訳」(1980)などが出版されている。また、ユダヤ人による旧約聖書のドイツ語訳としては、マルティン・ブーバーとフランツ・ローゼンツバイクのもの(1925〜29)が有名である。
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8.2 英語訳 |
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イギリスでは、既にルター以前に、宗教改革の先駆者ジョン・ウィクリフが弟子たちとともにラテン語聖書を英語に訳した(1380頃)。宗教改革の初期には、ウィリアム・ティンダルがルターと並行して新約および旧約聖書の翻訳に取り組んだ(1525〜30頃。旧約聖書は未完)。イギリスの宗教改革がいちおう完了すると、ジェームズ1世の命令により新しい聖書の英訳が行われ、1611年にいわゆる「欽定訳」(略号AV)ないし「ジェームズ王訳」(KJV)が成立し、英国国教会における使用が義務づけられた。この聖書の格調高い文体は、その後の英語や英文学のあり方にも大きな影響を与えたと云われる。
近・現代になると、聖書学的研究の成果を取り入れた欽定訳の改訂が行われ、イギリスで「改訂訳」(RV。1881〜85)、アメリカで「アメリカ標準訳」(ASV。1901)が出された。後者は後に更に改訂されて、「改訂標準訳」(RSV。1946〜52)、「新改訂標準訳」(NRSV。1989)となった。他方でイギリスの学者たちを中心とした独自の「新英語聖書」(NEB。1961〜70)が出版され、のちに改訂されて「改訂英語聖書」(REB。1989)として現在に至っている。
そのほか、アメリカではカトリック系の「新アメリカ聖書」(NAB。1970)、保守的なプロテスタント教派による「新国際訳」(NIV。1973〜79)も出されている。また、アメリカのユダヤ出版協会(JPS)は旧約聖書の独自の英訳「ユダヤ教聖書」(1962〜83)を出版している。個人訳や小教派のものなど、英訳聖書は枚挙にいとまがない。
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8.3 フランス語訳 |
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フランスでは、宗教改革の先駆者ルフェーブル・デタープルが聖書全巻のフランス語訳を1530年にアントワープで出版したほか、カルバンの弟子オリベタンの訳(1535)、より近代的なオステルバルドの訳(1724〜44)と、それを改訂した「シノド聖書」(1910)、さらにはルイ・スゴンの訳(1874〜79)がプロテスタントの間で広く用いられた。カトリックのものとしてはルーバン大学の教授たちによる「ルーバン聖書」(1550)、パスカルも引用したルイ・ドゥ・サシ(1667〜1701)のものなどが出された。
近・現代の学問的成果を取り入れたものとしては、フランス聖書協会の100周年を記念した「100年記念聖書」(1929〜47)のほか、詳細な注を加えた「エルサレム聖書」(1948〜54。注を簡略化した一般向けの版は1956年刊行)が出され、後者はアメリカやドイツのカトリック訳で類似した試みが行われた。
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8.4 広まる聖書 |
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オランダや北欧でも、宗教改革と同時に自国語聖書の翻訳、出版が始まった。その後、聖書翻訳は急速に広まり、今日では、世界中の民族が自分たちの言語で聖書を読むのはむしろ当たり前のことになった。1995年現在で世界2123言語、毎年約6億部の聖書が出版されていると云われる。また最近では、信仰一致運動の一環として、カトリック教会とプロテスタント教会が協力して聖書翻訳を行い、教派をこえて同じ聖書を用いようという運動が拡がっている。70年代以降、英語圏やドイツ語圏、フランス、中国語圏(香港)、韓国、イタリア、日本などでカトリックとプロテスタントによる「共同訳」が出版され、現在では300言語以上の共同訳が実現している。
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8.5 日本の聖書 |
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8.5.1 明治期 |
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日本では、まずキリシタン時代にカトリック宣教師たちが部分的な聖書の和訳を試みたが、やがて禁教、鎖国となった。しかしドイツ系プロテスタントのアジア宣教師ギュツラフは、マカオで日本人の漂流水夫たちから日本語を学び、1837年にシンガポールで「ヨハネ福音書」と「ヨハネ書簡」を出版した(「ヨハネ福音書」冒頭の訳は、「ハジマリニカシコイモノゴザル」)。
開国後は、各教派のプロテスタント宣教師たちが相次いで来日し、聖書の日本語訳に取り組んだ。1872年(明治5)、それらの宣教師たちの一部は各派合同の宣教師会議で新約聖書の共同訳を決議し、長老派のヘップバーン(ローマ字表記法を確立したことでも知られるヘボン)やサミュエル・ブラウン、会衆派のダニエル・グリーンなどが中心となり、奥野昌綱らの日本人の協力も得て80年に「新約全書」を出版した。
これと並行して1878年には旧約聖書翻訳のための委員会がつくられ、植村正久ら日本人の協力をえて逐次分冊で刊行されていった。87年には旧約全巻が完結、ここに初めて旧新約全体からなるいわゆる「明治元訳(もとやく)」が完成し、翌88年にはあらためて合本として出版された。このうち新約の部分は大正期に大幅な改訂を加えられた(この形態がいわゆる「文語訳聖書」)。
カトリックでは、エミール・ラゲがやはり日本人の協力をえて、ウルガタ訳聖書から新約聖書を翻訳し、1910年に出版した。なおカトリックによる最初の文語訳の旧約聖書は、フランシスコ会士のブライトゥングと川南重雄による「旧約聖書」(1954〜59)である。
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8.5.2 昭和期 |
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昭和期に入ると、1937年(昭和12)に日本聖書協会が設立され、聖書全巻のより大規模な改訳が計画された。しかし太平洋戦争を挟み、またその間の国語の急速で著しい変化を受けて、やがて従来のような文語訳でなく、平明な口語による新訳を行うことに方針が転換された。こうして51年には口語訳のための委員会が設立され、54年には新約が、また55年には旧約が完成した(いわゆる「日本聖書協会口語訳」)。
これと並行して、カトリックではサレジオ会士フェデリコ・バルバロが、日本人神父の協力を得て1950年以降、口語訳の聖書を分冊で刊行し始め、53年には新約が、また64年には第二正典を含めた旧新約全巻が完成した(80年に改訂。いわゆる「バルバロ訳」)。
他方で、神学的な理由から聖書協会口語訳の受け入れに消極的だった保守的な諸教派は、1961年に新改訳聖書刊行会を設立して独自の口語訳に着手し、65年には「聖書新改訳」の新約を、70年には旧約聖書を出版した。その後、さらに教派で独自の訳をだす動きも幾つか出てきた。
1970年代に入ると、第2バチカン公会議をうけたカトリック教会の方向転換と、信仰一致運動の世界的な盛り上がりを受けて、カトリックと聖公会を含めたプロテスタントの協力による共同訳聖書の計画が持ち上がった。70年には共同訳聖書実行委員会が結成され、78年に日本聖書協会から「新約聖書共同訳」が刊行された。しかしこの訳は、固有名詞のギリシャ語風表記と、動的等価(ダイナミック・エクィバレンス)理論による大胆な意訳(たとえば「マタイオスによる福音」5章3節は「ただ神により頼む人々は、幸いだ」)の故に、賛否両論を呼んだ。
その後、委員会内部で、旧約翻訳に際して従来に近い固有名詞とより逐語的な訳への方針転換がなされたため、新約も大幅に改訳され(「マタイによる福音書」5章3節は「心の貧しい人々は、幸いである」)、1987年に「聖書新共同訳」として刊行された。なお、カトリックや聖公会とほかのプロテスタントでは旧約聖書に含める文書の範囲がことなるため、新共同訳は「旧約聖書続編」付きのものと、旧新約聖書のみのものの2種類が出版された。
これらの礼拝用聖書とは別に、宣教師や牧師、聖書学者などの個人訳も20世紀初めから試みられた。初期の代表的なものとしては、左近義弼(よしすけ:旧・新約の一部)や湯浅吉郎(旧約の一部)、永井直治(新約:「新契約聖書」)らのものがある。口語訳で現代の聖書学の成果を取り入れたものとしては、塚本虎二による「福音書」(1963)、前田護郎による新約(1983)、柳生直行による新約(1985)、中沢洽樹(こうき)による旧約(一部。1968)、関根正雄による旧約(1995)などが代表的なものである。
また研究所によるものとしては、日本聖書学研究所の研究者たちによる旧新約の敷衍訳(一部。1970〜74)や、カトリックのフランシスコ会聖書研究所による詳細な注付きのもの(1958年から分冊で刊行、新約は79年に完結、旧約は96年現在なお継続中)がある。さらに、1995〜96年には、日本聖書学研究所の有志研究者たちが新たに新約聖書翻訳委員会を結成、最新の聖書学的知見をとりいれた注付きの「新約聖書」(5分冊)を岩波書店から出版した。旧約聖書についても、96年現在、同じような企画が準備されている。
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