聖書 Bible



1.はじめに

聖書 せいしょ Bible ユダヤ教およびキリスト教の聖典。「正しい信仰の規準となる書物」という意味で、「正典」(カノン)とも呼ばれる。ただし、ユダヤ教の聖書とキリスト教の聖書では、幾つかの重要な点で違いがある。ユダヤ教の聖書はいわゆる「ヘブライ語聖書」(キリスト教でいう旧約聖書にあたる)で、39巻の書物からなり、原本の大部分はヘブライ語で書かれ、後期の若干の部分はアラム語で書かれている。これに対し、キリスト教の聖書は旧約聖書と新約聖書(27巻。原本はギリシャ語)の2つの部分から成る。

聖書の構成
旧約聖書は、キリスト教の2大潮流で構成が若干異なるものが用いられている。カトリック教会の旧約聖書は、ユダヤ教の聖書以外の7つの書物と、ユダヤ教の聖書中の幾つかの書物への付録を含む(下表参照)。これらの追加された書物の幾つかは、新約聖書同様、最初からギリシャ語で書かれたものである。
一方、プロテスタント諸派が用いる旧約聖書は、ユダヤ教の聖書と同じで39巻に限られる。プロテスタントでは、これ以外の書物と付録部分を「外典」(アポクリファ)と呼ぶ。カトリックでは一般にそれらを「第二正典」と呼び、日本では「旧約聖書続編」とも呼んでいる。

 
  旧約聖書 
ユダヤ教の聖書 カトリック教会の聖書 プロテスタントの聖書
律法 モーセ五書 モーセ五書
 創世記  創世記  創世記
 出エジプト記  出エジプト記  出エジプト記
 レビ記  レビ記  レビ記
 民数記  民数記  民数記
 申命記  申命記  申命記
預言者 歴史書 歴史書
 前の預言者  ヨシュア記  ヨシュア記
 ヨシュア記  士師記  士師記
 士師記  ルツ記  ルツ記
 サムエル記上  サムエル記上  サムエル記上
 サムエル記下  サムエル記下  サムエル記下
 列王記上  列王記上  列王記上
 列王記下  列王記下  列王記下
 後の預言者  歴代誌上  歴代誌上
 イザヤ書  歴代誌下  歴代誌下
 エレミヤ書  エズラ記  エズラ記
 エゼキエル書  ネヘミヤ記  ネヘミヤ記
 ホセア書  トビト記  エステル記
 ヨエル書  ユディト記
 アモス書  エステル記 文学書
 オバデヤ書  マカバイ記一  ヨブ記
 ヨナ書  マカバイ記二  詩編
 ミカ書  箴言
 ナホム書 教訓書  コヘレトの言葉
 ハバクク書  ヨブ記  雅歌
 ゼファニヤ書  詩編
 ハガイ書  箴言 預言書
 ゼカリヤ書  コヘレトの言葉  イザヤ書
 マラキ書  雅歌  エレミヤ書
 知恵の書  哀歌
諸書  シラ書(集会の書)  エゼキエル書
 詩編  ダニエル書
 箴言 預言書  ホセア書
 ヨブ記  イザヤ書  ヨエル書
 雅歌  エレミヤ書  アモス書
 ルツ記  哀歌  オバデヤ書
 哀歌  バルク書  ヨナ書
 コヘレトの言葉  エゼキエル書  ミカ書
 エステル記  ダニエル書  ナホム書
 ダニエル書  ホセア書  ハバクク書
 エズラ記  ヨエル書  ゼファニヤ書
 ネヘミヤ記  アモス書  ハガイ書
 歴代誌上  オバデヤ書  ゼカリヤ書
 歴代誌下   ヨナ書  マラキ書
 ミカ書
 ナホム書
 ハバクク書
 ゼファニヤ書
 ハガイ書
 ゼカリヤ書
 マラキ書

  新約聖書 
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ルカによる福音書
ヨハネによる福音書
使徒言行録
ローマの信徒への手紙
コリントの信徒への手紙一
コリントの信徒への手紙二
ガラテヤの信徒への手紙
エフェソの信徒への手紙
フィリピの信徒への手紙
コロサイの信徒への手紙
テサロニケの信徒への手紙一
テサロニケの信徒への手紙二
テモテへの手紙一
テモテへの手紙二
テトスへの手紙
フィレモンへの手紙
ヘブライ人への手紙
ヤコブの手紙
ペトロの手紙一
ペトロの手紙二
ヨハネの手紙一
ヨハネの手紙二
ヨハネの手紙三
ユダの手紙
ヨハネの黙示録

  聖書外典
エズラ記(ギリシャ語)
エズラ記(ラテン語)
* トビト記
* ユディト記
* エステル記補遺
* 知恵の書
* シラ書(集会の書)
* バルク書、およびエレミヤの手紙
* アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌
* スザンナ(ダニエル書補遺)
* ベルと竜(ダニエル書補遺)
マナセの祈り
* マカバイ記一
* マカバイ記二

プロテスタントの聖書のなかには、以上の書を補遺として収めているものもある。うち、*をつけたものは、カトリック教会の聖書に正典として収められている。

2.文書の順序

ユダヤ教、プロテスタント、カトリック教会では、旧約聖書に含まれる書物の数と並べ方に違いがある。ユダヤ教の聖書は以下の3部分からなる。
(1)「トーラー」すなわち「律法」。これは「モーセの書」とも呼ばれる。
(2)「ネビーイーム」すなわち「預言者」。これはさらに、歴史書である「前の預言者」と、預言者の語録集である「後の預言者」に分かれる。
(3)「ケスービーム」すなわち「諸書」。これは詩編や知恵文学、およびその他のさまざまな文書を含む。

キリスト教の旧約聖書では、各文書が文学としての類型別に編纂されている。最初の5巻(いわゆる「モーセ五書」)はユダヤ教でいう「トーラー」に対応する。以下、歴史書、詩文学と知恵文学、預言書の順でならんでいる。一部の人々は、このような配列には各書物の歴史的視点が反映されているとみる。すなわち、前のほうにあるのは過去に関する書物であり、中間にあるのは現在を扱う書物であり、後ろのほうにあるのは未来に関する書物だというのである。プロテスタントとカトリックでは、旧約聖書の諸文書の並べ方は同じだが、プロテスタントの聖書は、前述のようにユダヤ教聖書にある文書しか含まない。

新約聖書に含まれるのは、4つの福音書、キリスト教の最初期の歴史を描く「使徒言行録」(使徒行伝)、パウロやその他の使徒の手紙、「ヨハネの黙示録」である。手紙の中のいくつかのもの、特に「ヘブライ人への手紙」は、神学的論説といった性格をもつ。

3.使用

聖書は、内容だけではなく、キリスト教徒やユダヤ教徒の使用法からみても、宗教的な書物である。聖書は実際、両宗教のすべての公的礼拝の儀式の中で朗読され、その言葉は説教と教理の基盤をなしている。それはまた、個人的な祈りや研究にももちいられる。ユダヤ教においてもキリスト教においても、聖書は祈りや典礼や讃美歌の素材となり、またそれらに形を与えてきた。聖書なくしては、両宗教はほとんど言葉をもたない宗教となってしまったことだろう。

聖書が信仰と生活の中でどのような重要性を持つかについては、ユダヤ教やキリスト教内部の諸教派間でかなりの相違があるが、すべての信徒は聖書に何らかの意味での権威を認めている。多くの人々は、聖書が信仰と生活に関わるあらゆる事柄についての完全にして十分な手引きだと信じている。ほかの人々は聖書を聖伝、すなわち使徒時代以来引き継がれてきた教会の信仰と生活の伝統に照らしてみようとする。


4.聖書と霊感

キリスト教の初期の教会は、聖書を権威ある書物とする見方をユダヤ教から受けつぎ、それを当然のこととみなしていた。ただし、「コーラン」を直接天から授けられたものとみなすイスラム教とは異なり、聖書が霊感によって書かれたとする公式の教理が最初から説かれたわけではない。しかしキリスト教徒は一般的に、聖書は聖霊により、最初は族長たちや預言者たちを通じ、のちには使徒たちを通じて授けられた神の言葉をおさめたものだと信じている。実際に新約聖書の著者たちは、イエス・キリストについての彼らの主張の論拠として、旧約聖書をしばしば引き合いに出す。

本当の意味での聖霊による聖書の霊感と、その言葉の無謬性についての教理が確立したのは、19世紀になってからであり、それは批判的聖書研究(すなわち聖書の神的起源に挑戦するかのようにみえた学者たちの科学的な聖書研究)に対する反発という形で現れた。この教理によれば、神こそ聖書の著者であり、聖書全体が神の言葉そのものである。極端な立場をとる人々は、聖書は神によって直接、逐語的に口述されたものであり、いかなる誤りも含まないと主張し、進化論や科学的な宇宙論に反対しつづけている。


5.重要性と影響力

聖書がキリスト教徒とユダヤ教徒の間でもつ重要性と影響力は、大雑把にみて、外的な側面と内的な側面の両面から説明できるだろう。

外的な側面とは、伝統、慣習、信条の力と云ったものである。すなわち、宗教的な諸集団は、聖書が自分たちの導き手であることを信仰告白する。ある意味では、教団こそ聖書の著者である。教団は聖書を発展させ、保存し、使用し、最終的に正典化(聖なる書物と認められものを公式に確定すること)したのである。

内的側面とは、多くのキリスト教徒やユダヤ教徒が聖書自体の内容の持つ力として、たえず体験しているものである。古代イスラエルも原始キリスト教会も、聖書を構成するもの以外にさらに多くの宗教的文書をもっていた。しかし聖書中の諸文書は、まさにそれらがなにを語るか、そしてどう語るか、ということによって尊重され、もちいられてきたのである。各文書が公的に正典化されたのは、それらが広く用いられ、信じられたという理由による。聖書は真の意味で、ユダヤ教とキリスト教の基盤をなす文書なのである。

聖書が無数の翻訳を通じて、歴史上最も広範に頒布された書物であることはよく知られている。しかも聖書は、さまざまな形で、途方もない影響力をもってきた書物でもある。その影響範囲は、単に聖書を神聖視する宗教的な共同体の内部に止まらない。特に、西洋の文学、美術、音楽は、聖書に由来する主題、モチーフ、イメージに非常に多くを負っている。

英語の欽定訳聖書(ジェームズ王聖書。1611)やルターによるドイツ語訳聖書(初版1534)は、文学だけでなく、その後の両言語の発展そのものを規定したとさえいわれている。そのような影響は、近代の国民国家の出現の中にもひきつづき感じとれる。すなわち、聖書が各地の言語に訳されることが、それぞれの国語の伝統をかたちづくったのである。


6.旧約聖書

キリスト教が聖書の中に、ユダヤ教という別の宗教の聖典をそっくりそのまま取り入れたことは、注目に値する。後者が「旧約聖書」という名称で呼ばれるようになったのは、パウロやその他の初代キリスト教徒の著作に基づいている。彼らは、神がイスラエルと結んだ「古い契約」と、イエス・キリストを通じた「新しい契約」とを区別しようとしたのである(たとえば、「ヘブライ人への手紙」8章7節)。原始キリスト教会は、歴史も神の働きもひと続きのものと考えたため、キリスト教の聖書に「古い契約」の記録と「新しい契約」の記録の双方を収録したのである。

6.1 旧約聖書の諸文書
旧約聖書は、さまざまな側面からみることができる。文学という観点からみれば、旧約聖書は(というよりも聖書全体は)、さまざまな文書を集めたアンソロジーと云える。旧約聖書は、著者という点からみても、著作時期という点からみても、文学形式という点からみても、けっして単一の書物ではなく、多種多様な書物の文書庫なのである。

一般に、旧約聖書の諸文書とその構成要素は、物語、詩文学、預言書、律法、黙示文学に大別できる。これらのほとんどが、文学や口頭伝承の多種多様な類型を含む幅広いカテゴリーであり、どれひとつとして旧約聖書に特有なものはない。いずれも、ほかの古代文学、とくにオリエント世界の文学にも見出されるものなのである。

しかし、いくつかの文学類型が旧約聖書の中に取り入れられなかったことは注目されてよい。たとえば、新約聖書であれほど重要な役割をはたす手紙が(いくつかの写本に含まれる「エレミヤの手紙」を除き)、独立した文書としては存在しない。自伝も、戯曲も、喜劇も、旧約聖書には全く欠けている。とりわけ印象的なのは、旧約聖書のほとんどの文書が、複数の文学ジャンルを含んでいるという事実である。たとえば「出エジプト記」には、物語、律法、詩歌が含まれている。預言書の多くには、本来の意味の預言のジャンルとならんで、物語と詩歌が含まれている。


6.1.1 物語
旧約聖書の文書の大部分は、外観をみても内容をみても、物語であり、過去の出来事について報告しようとするものである。筋(プロット)と云えるようなものや、登場人物の性格描写や、出来事の状況描写のようなものを含む文書は、物語と呼ぶことができる。

別の見方をすれば、旧約聖書中の多くの物語作品は歴史である。勿論それは、現代の学問的定義にあてはまるような歴史ではない。歴史とは、過去の出来事について書かれた物語であり、何んらかの美的感覚や宗教的配慮などによらず、著者が確定し、解釈できるかぎりでの事実によって導かれるものである。

旧約聖書の歴史物語は、批判的な歴史叙述と云うよりも、大衆的な性格の作品である。と云うのは、著者たちが物語を書く際に、しばしば口頭伝承をもちいており、その中には歴史的信憑性のないものも含まれているからである。しかも、これらの物語はすべて、宗教的な目的をもって書かれたものである。人間に関わる出来事を通じて、神がどのように活動するかを示そうとしているのだから、救済史と呼んでもよい。

そのような作品の代表例が、「申命記史書」(「申命記」から「列王記」までの諸書、詳しくは後述)、「モーセ四書」(「創世記」から「民数記」まで)、「歴代誌史書」(「歴代誌・上下」、「エズラ記」「ネヘミヤ記」)である。 いわゆる「ダビデ王位継承史」(「サムエル記・下」9〜20章、「列王記・上」1〜2章)は、聖書の中のどの物語よりも、現代における歴史の理解に近い性格のものである。著者は、歴史上の出来事や人物に対する鋭敏な感受性をもっており、出来事の経過を人間たちの動機という面から解釈している。それにもかかわらず、この著者は、舞台の背後で神の手がすべてを操っているのを見抜くことができたのである。

その他の物語文書に、短編小説ともいえる「ルツ記」、教訓的な物語である「ヨナ書」、歴史的ロマンスないし祭儀伝説といえる「エステル記」がある。これらの文書はおそらく、民話や伝説から発展してきたものだろう。第二正典ないし外典(旧約聖書続編)にも、「トビト記」「ユディト記」「スザンナ」「ベルと竜」など、いくつかの教訓的な物語がある。

旧約聖書の諸文書には、これらにかぎらず物語ジャンルの多くが含まれている。たとえば「創世記」は、数多くの個別の物語から構成されており、その大部分は本来、それぞれ独立した口頭伝承として流布していたものである。「創世記」11〜50章の族長物語は、これまで「伝説」「系譜物語」、より正確には「家族物語」など、さまざまな呼称でよばれてきた。それらの多くは原因譚、すなわち特定の場所や習慣や名前の起源や由来を説明する物語である。


6.1.2 詩文学
旧約聖書の詩文学には、「詩編」「ヨブ記」「箴言」「コヘレトの言葉」「哀歌」「雅歌」が含まれる。第二正典(旧約聖書続編)では、「シラ書」と「マナセの祈り」がこれに含まれる。「知恵の書」は、詩の形をとった知恵文学(「箴言」や「コヘレトの言葉」など)と多くの共通性をもつが、詩文学とは云えない。預言書の大部分も詩文で書かれているが、性格が非常に異なっているため、本来の意味での詩文学とは別にして扱かわれねばならない。
6.1.2.1 全体の特色
ヘブライ語の詩文学には、2つの大きな特色がある。ひとつは、翻訳でも比較的容易に認識できることであり、もうひとつの特色は、翻訳ではほとんど理解不可能なことである。

分かり易い方の特色は、「節の並行法」(パラレリスムス・メンブロールム)の使用である。これは、第1の行で語られた事柄が、第2の行でもう一度繰り返されたり、並行的に述べられるという形式である。たとえば、「詩編」6章2節「主よ、怒ってわたしを責めないでください/憤って懲らしめないでください」の2行は、同義的並行法で書かれている。

また、同じ節の第2の行が第1の行での述べられた事柄とは逆の側面を語る場合もある。たとえば、「箴言」15章1節「柔らかな応答は憤りを静め/ 傷つける言葉は怒りをあおる」である。

そのほか、第1の行で述べられたことを第2の行が説明したり詳しく述べたりする場合もあり、さらには、並行法が単に形式上のものに過ぎない場合もある。ときには、3行あるいはそれ以上にわたって、並行法が延々ともちいられることもある。最近の翻訳聖書の大きな長所は、ヘブライ語の詩の形式をできるだけ保持し、読者が原文の構造をあじわったり、理解できるような工夫がこらされていることである。

ヘブライ語詩文学のもうひとつの大きな特色、翻訳では分からない特色は、韻律である。韻律の特徴は、各行にアクセントがいくつあるか、ということにもとづいていたらしい。比較的容易に識別できる韻律は、「キーナー」すなわち「哀歌体」である。これは、アクセントのある音節が1行目に3つ、2行目に2つあるという韻律である。

詩文学には、実に多種多様なジャンルが含まれている。最も広範に用いられているのは、さまざまな礼拝の歌の形式(「詩編」)と知恵の詩である。それ以外に、聖書には恋愛歌集が1冊含まれている(「雅歌」)。

6.1.2.2 抒情詩
イスラエルの礼拝用文学は、抒情詩、すなわち実際に声に出して歌ったり朗唱することを目的としてつくられた詩歌である。これらの歌の大部分は、「詩編」の中に収められている。多くは賛歌であり、神自身や、神がイスラエルのためになした業(わざ)や、神の創造の業を讃えたものである。

賛歌とならんで、集団の嘆きの歌ないし訴えの歌がある。困難に直面した人々が、救いを求める嘆願の祈りとして実際にうたったものである。「詩編」のほぼ3分の1は、個人の嘆きないし訴えの歌であり、死や災難に直面した個人が自分でうたったものや、そのような人々のためにうたわれたものである。

民族や個人が困難から救われた場合には、感謝の歌がうたわれたらしい。「詩編」2、45、110などの少数の詩編は、神の特別のしもべであるイスラエルの王の即位を祝賀したものである。
6.1.2.3 知恵の詩
知恵の詩には、「箴言」にまとめられているような知恵の格言や短詩と、「ヨブ記」「コヘレトの言葉」「シラ書」のような長編の創作が含まれる。短い詩的素材には、格言や警句、訓戒などがあり、通常はわずか2行だけからなる。それらのあるものは、疑いもなく伝統的ないし民衆的なことわざであり、またあるものはよく考えぬかれた独創的な文学作品としての特徴をもっている。

「箴言」1〜9章には、知恵そのものの性格についてのべた一連の詩が収められている。これに対し「ヨブ記」は、民話風の物語を枠組みとした、対話形式の長大な詩作品である。「コヘレトの言葉」は、いささか一貫性にかける書物である。「シラ書」はあるユダヤ人教師の著作であり、その孫によってギリシャ語に翻訳されたものである。

知恵の格言の主題は、幸福で成功する人生を歩むための実際的な助言から、賢明な道に従うことと、神によって啓示された律法に服従することの関係についての省察にまでおよぶ。「ヨブ記」は、少なくともその中のある水準で、罪のない者の苦難という問題と正面から苦闘している。「コヘレトの言葉」は、死に直面した人生の意味について、悲観的な瞑想を展開している。

6.1.3 預言的素材
預言者の存在は、古代オリエントのほかの場所でも知られていた。しかし、イスラエルに匹敵するような一連の預言文学を発展させた文化はほかにない。たとえば、古代エジプトの著者たちも、「預言」とよばれる文書を数多く生みだしたが、それらは、形式的にも内容的にも、旧約聖書の預言書とは全く異なっている。

ほとんどのヘブライ語預言文学には、3種類の文学形式が含まれている。すなわち物語、祈り、預言の託宣である。物語は通常、預言者たちの活動をえがく記述ないし報告であり、預言者自身によって語られる場合もあれば、第三者によって語られる場合もある。それらの物語には、幻についての記述、象徴的行動についての報告、預言者と敵対者の抗争など、預言者の活動についての説明、歴史記述や歴史的注記などが含まれる。預言書のひとつ「ヨナ書」は、事実上全体が預言者の活動について述べる物語であり、そこには預言の託宣はたったひとつ(3章4節)しか含まれていない。祈りには、賛歌や、エレミヤの苦情のような嘆願(たとえば「エレミヤ書」15章10〜21節)が含まれる。

預言文学で支配的なのは預言の託宣である。これは、預言者の活動の中心が、間近に迫った未来についての神の言葉を代弁することだったからである。もっとも多く語られるのは、裁きの預言と救済の預言である。双方とも、ほかの預言同様、その言葉が神の啓示にもとづくものであることを特定する定形句によって枠付けされている。たとえば、「主はこういわれる」という定形句である。

裁きの預言は通常、神罰のくだる理由として、社会的不正や宗教的な傲慢、背教などを挙げ、また語りかけの相手である国家や集団、個人に下ることになる災いの性格(たとえば敵の襲来)を詳しく描き出す。これに対し救済の預言は、イスラエルを救うために、神が歴史的事態を逆転させる仕方で介入することを予告する。

その他の預言の言葉としては、異国民に対する託宣、人々の罪を数え挙げる悲嘆の言葉(「災いだ……する者は」)、訓戒、警告などがある。


6.1.4 律法
旧約聖書には、数多くの法的素材が含まれているため、ユダヤ教ではその最初の5つの文書が「トーラー(律法)」と呼ばれるようになり、さらに初期キリスト教でも旧約聖書全体が「律法」と呼ばれるようになった。法的文書は、「出エジプト記」「レビ記」「民数記」に集中している。5番目の文書は、ギリシャ語への翻訳者によって「第二の律法」(すなわち「申命記」)と呼ばれた。この文書は本来、モーセの最後の言葉と業(わざ)についての報告だが、しばしば解釈や説教の文脈に膨大な数の律法が含まれている。

聖書の伝承によれば、神の意志としての律法は、シナイ山で神がイスラエルと契約をむすんだ際に、モーセを通じてイスラエルに啓示された。その結果、「申命記」を例外として、あらゆる律法が、シナイ山での出来事について語る「出エジプト記」20章から「民数記」10章までの文脈に集中しているのである。

学者たちは、ヘブライ語の律法を2つの主要な類型によって区別してきた。すなわち、断言法と決疑法(ないし条件法)である。

断言法は「十戒」(「出エジプト記」20章1〜21節、34章14〜26節、「申命記」5章6〜21節)によって代表される。人間の行動についての、短い、曖昧さのない直截な、神の意志の表明というかたちで書かれ、通常は5つ以上の組でまとめられている。それらは肯定命令(「……すべし」)のかたちで書かれる場合と、否定命令(「……するなかれ」)のかたちで書かれる場合がある。

これに対し決疑法は、それぞれの法文が2つの部分からなる。最初の部分は条件をのべ(「人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠(ほふ)るか、売るかしたならば……」)、第2の部分は、その場合に科せられるべき罰則を規定する(「牛1頭の代償として牛5頭、羊1匹の代償として羊4匹で償わねばならない」(「出エジプト記」21章37節)。これらの律法の多くは、農耕生活や村落生活で生じる具体的な諸問題をとりあつかっている。決疑法は、形式のみならず、しばしば内容的にも、ハンムラピ法典やその他の古代オリエントの法典にみられる法規と共通するものをもつ。

6.1.5 黙示文学
イスラエルで黙示文学が独自のジャンルとして出現するのは、ユダヤ人のバビロン捕囚(前586〜538)終了後のことである。黙示文学(ないし啓示の書)は、長大で詳細な夢や幻のかたちをとって、未来の出来事の秘密を解明しようとする。高度に象徴的な、しばしば奇怪でさえあるイメージがもちいられ、それらがさらに意味説明されたり、解釈されたりする。黙示文学には通常、同時代についての著者の歴史観が反映されている。著者はその時代を、悪の諸力が結集して、神と最後の戦いをおこなおうとしている時代とみなし、新しい時代が確立されることを待望している。

旧約聖書に含まれた唯一の、本来の意味での黙示文学は、「ダニエル書」である。ただしその前半(1〜6章)は、実質的には一連の伝説的物語である。その他の文書のいくつかの部分にも、多くの点で黙示文学によく似たものがある(たとえば、「イザヤ書」24〜27章、「ゼカリヤ書」9〜14章、「エゼキエル書」のいくつかの部分)。旧約聖書続編では、「エズラ記(ラテン語)」(第四エズラ)が黙示文学である。前2〜後1世紀にかけて、ユダヤ教では他にも膨大な数の黙示文学が書かれたが、それらは正典中に取り入れられることはなかった(いわゆる「偽典」)。その中には「エノク書」「光の子らと闇の子らの戦い」「モーセの黙示録」などが含まれる。

最近まで、イスラエルにおける黙示文学と黙示思想の発展は、ペルシャの宗教の強い影響を受けたものだと論じる学者が多かったが、このような見方には、有力な反論が出されるようになった。黙示思想の根が、イスラエル自身の思想(とくに未来についての預言者の理解)や、より古い古代オリエントの伝統の中に認められるようになったからである。


6.2 旧約聖書の発展的形成
旧約聖書の諸文書は、けっして同時に同じ場所で成立したものではない。それどころか、約1000年あるいはそれ以上の時間をかけて、イスラエルの信仰と文化が生みだしたものなのである。したがって、それらの著者と、文書化以前の歴史および文書段階での歴史について考える、もうひとつの視点が必要となる。

実質上すべての文書が、旧約聖書に集められ正典化される以前に、伝承と発展の長い歴史をたどってきた。さらに、各文書の著者や成立年代についてのユダヤ教、キリスト教の伝統的見解と、現代の学問が聖書内外の証拠から再構成する実際の成立史とを区別する必要がある。多くの事実はいまだ知られておらず、この文学史は長く複雑である。また、古い学問的結論というものは、新しい証拠や方法のもとで修正されるのが常である。とはいえ、この文学史の輪郭は、次のように要約することができるだろう。

旧約聖書の大部分の文書は、最初の言葉が語られ、もしくは書かれてから、最終的なかたちで作品ができあがるまで、長い旅路をたどった。この旅路は通常、語り部や著者や編集者や聴衆や読者たちを含む、数多くの人々と関わり合ってきた。そこでは個々人だけではなく、異なる信仰をもった様々な共同体が役割を演じた。

今日、文書という形で存在している作品の背後には、文書化以前の口頭伝承が隠れていることが多い。たとえば、「創世記」の物語のほとんどは、文字に書かれる前に口伝で流布していたものである。また、預言者の言葉は、今では書物という形をとっているが、最初は口に出して語られたものである。「詩編」は、最初から文字に書かれたか否かを問わず、実際にうたい、朗唱するためにつくられたものである。ただし口頭伝承を、文字で書かれた文学の単なる先行段階とみなすのは正しくない。実際には、口頭伝承は何世紀にもわたって、文書化された素材と併存しつづけるのである。

6.2.1 モーセ五書
ユダヤ教とキリスト教の伝承によれば、聖書の最初の5書の著者は、モーセである。しかし、5つの書物のどこにも、そのような主張を裏づける記述はない。この伝承はある部分、諸文書が「モーセの書」と呼ばれたことに由来するが、これは本来、「モーセについての書」を意味するものだった。中世には、ユダヤ教の学者たちがはやくも伝承の問題点に気づき始めた。すなわち、モーセ五書の最後の書物「申命記」には、モーセの死が客観的に記されているのである。

実際にはこれらの書物は、名の知れない著者たちの手による複合的な文書なのである。その中には、神について2つの異なる呼称がもちいられていたり、天地創造についての記述が2つあったり、ノアの洪水について2つの矛盾する物語があったり、エジプトに下る災いについて2つの異なる物語があるなど、数多い重複や繰り返しがみられる。それらを手掛かりに、聖書学者たちは、モーセ五書が著者も時代も異なる幾つもの資料をもちいて書かれたという結論を引き出した。

もとになった諸資料は、用語法、文体、神学的なものの見方などに関して、さまざまな相違点をもっている。もっとも古いものはヤハウィスト資料(「ヤハウェ」という神名をもちいることに由来し、J資料と略記される)であり、通常は前10〜前9世紀のものとされる。2番目の資料はエロヒスト資料(神に「エロヒーム」という普通名詞をもちいることに由来し、E資料と略記される)であり、通常は前8世紀のものとされる。第3の資料は申命記資料(D資料と略記され、「申命記」とその他少数の節に限られる)で、前7世紀のものとされる。もっとも新しい資料は祭司文書(祭儀法の強調と祭司的関心のゆえにこう呼ばれ、P資料と略記される)で、前6〜前5世紀のものとされる。

J資料には、天地創造からイスラエルのカナン征服まで、ひとつの長大な物語がまるまる含まれている。E資料は保存状態が断片的で、もはやひとつの完全な物語の態をなしてはいない。それがひとつの独立した物語だったとすれば、アブラハムについての記述で始まっていただろう。P資料は、主としてシナイ山における契約と律法の啓示に集中しているが、それを、天地創造にはじまる物語の文脈の中に取り入れている。

これらの資料の著者が、たとえ集団ではなく個人だったとしても、だれひとりとして、現代的な意味での創造的な作家ではなかった。むしろ彼らは、口伝にしろ文書にしろ、古くからあった様々な伝承を収集し、整理し、解釈した編集者だった。それゆえ、各資料に書かれた内容のほとんどは、資料自体よりもずっと古いものである。

文字に書かれた最古の要素は、「海の歌」(「出エジプト記」15章)のような、詩作品の一部だったらしい。法的素材の一部は、太古の法典からとられたものである。最近のある見解によれば、モーセ五書の個々の物語は、いくつかの主要主題(族長たちへの約束、出エジプト、荒野放浪、シナイ山、土地取得)を軸として集められたものであり、前1100年ごろ基本的な形を獲得したものであるという。いずれにせよ、イスラエルの起源についての物語は、信仰共同体の内部で、またその共同体の影響を受けつつ形成されたものなのである。

6.2.2 申命記史書
最近では、「申命記」「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記・上下」「列王記・上下」は、モーセの時代(前13世紀)からバビロン捕囚の時代(前597〜前538)までの歴史をえがく、単一のひと続きの歴史書とみなされるようになっている。用語法や神学的な観点が「申命記」と類似しているので、この歴史記述は学問上、「申命記史書」とよばれている。記述の最後をかざる出来事や、ほかの証拠にもとづき、この史書は、捕囚中の前560年ごろに書かれたと考えられている。ただし、少なくともその一部は、後代に書き加えられた可能性がある。

この史書の著者(ないし著者たち)は、イスラエルの歴史を書きしるすとともに、バビロニアによってイスラエル民族に下された災いの理由を説明しようとした。著者は一方で、あらゆる歴史家がするように、古い口伝や文書の資料を収集し、体系的にならべる作業をおこなった。彼は、預言者物語、さまざまな表、古い物語、さらには宮廷の公文書をふくめた多種多様な素材を駆使した。事実、読者にどのような資料をもちいたかを名指しで示している場合もしばしばである(たとえば、「ヨシュア記」10章13節、「サムエル記・下」1章18節、「列王記・下」15章6節)。

他方で著者は、神学者としての作業をもおこなった。しかも、自分が書きしるす一連の出来事の経緯と意味について、すでに堅固な信念をもっていた。彼はそのような信念を、素材の並べ方や、自分自身の書いた演説を主要な登場人物にかたらせることによって表現した(たとえば「ヨシュア記」1章)。この著者は、イスラエルがバビロニア人の手におちたのは、イスラエルの人々が「申命記」にしるされたようなモーセの律法をまもらず、とくに、あやまった礼拝場所で異なる神々を崇拝したためだ、と信じていた。彼はまた、預言者たちが捕囚について、それが現実のものとなる遥か以前から、盛んに警告していたと信じていた。

6.2.3 詩文学
祭儀的詩歌と知恵の詩はいずれも、成立年代を確定することも、特定の著者を発見することも困難である。その第1の理由は、歴史に関わる言及がほとんどないことである。ダビデがしばしば「詩編」の作者とされるのは、彼がすぐれた歌手であり、また歌づくりの名人だったという伝承による。実際には、ダビデの作とされているものは、150の詩編中70にすぎず、またダビデの時代につくられた歌は、それよりもはるかに少なかったことだろう。しかも、ダビデやその他の作者を特定している標題部分は、詩編の本体が書かれてからずっと後になって付け加えられたものである。

「箴言」やその他の知恵文学がソロモンの作とされるのは、彼が偉大な賢者だったという伝承にもとづく。このことは、ソロモンが知恵文学を生みだすような制度を大いに振興した、という程度の信憑性しかもたない。知恵の詩にみられる格言などには、ヘブライ語文学の最古の素材が含まれている。これに対し、「コヘレトの言葉」や「シラ書」のような作品は、もっとも後期の素材を含んでいる。

「詩編」は、捕囚から帰還した後に再建された第2神殿でもちいられる讃美歌、ないし祈祷書となった。ただし、個々の歌の中には、第2神殿以前のものも沢山ある。それらの中には、カナンの地の先住民からイスラエルが受け継いだ様々なモチーフ、主題、表現などが含まれている。「詩編」には、数多くの人々の様々な声が協和し合いながら響いている。「詩編」とはなによりもまず、礼拝を行う共同体の声なのである。

6.2.4 預言書
預言書のうち、書名に記されている預言者本人によって、全文が書かれたものがあるとしても、それはごく少数である。むしろ大部分は、預言者自身の語った言葉であってさえ、ほかの人物によって文字に記録されたものである。預言者によって語られた言葉が書物になる経緯を伝えるものに、エレミヤの書記バルクについての物語がある(「エレミヤ書」36章、「イザヤ書」8章16節)。おそらく預言者の様々な発言が、弟子や信奉者によって記憶され、のちにまとめられて、結果として書物となったのだろう。

ほとんどの預言書は、後代になって編集されたり、加筆されている。たとえばアモスの言葉を集めた預言書(前755頃)が、バビロン捕囚時代にもちいられるようになると、希望にみちた新しい結末が付け加えられた(「アモス書」9章8〜15節)。また「イザヤ書」には、イスラエルの数世紀の歴史と、複数の預言者やその他の人々の作業が反映している。1〜39章が主としてイザヤ本人(前742〜前700頃)に由来するのに対し、40〜55章は、捕囚時代の匿名の預言者、いわゆる「第2イザヤ」(前539頃)によるものである。さらに56〜66章は、「第3イザヤ」とよばれるが、実際には捕囚よりもあとの様々な著者たちによって書かれたものである。


6.3 正典
ユダヤ教のヘブライ語聖書と、キリスト教の旧約聖書は、それぞれ異なる時代と場所で正典化された。ただし、キリスト教の正典の発展的形成は、ユダヤ教の聖書のそれを手掛かりにして理解しなければならない。

6.3.1 ヘブライ語正典
イスラエルで、聖なる書物という観念が出現したのは、少なくとも前621年にまでさかのぼる。ユダ王ヨシヤの宗教改革の時代、神殿の修繕に際して、祭司ヒルキヤが「律法の書」を発見したという(「列王記・下」22章)。この巻物は、今日の「申命記」の中心部分だったと考えられている。ただし、重要なのは、その文書に大きな権威が認められたと云うことである。前5世紀の末期にユダヤ人の祭司で律法学者だったエズラが、ユダヤの共同体を前にして読み上げた巻物は、より大きな威信を持つことになった(「ネヘミヤ記」8章)。

ヘブライ語聖書は、3つの段階を経つつ、「聖なる書物」となった。その3段階は、ヘブライ語聖書の3つの部分、律法、預言者、諸書に対応する。「律法」すなわち「トーラー」が神聖視されるようになったのは、バビロン捕囚の終わり(前538)と、ユダヤ教からのサマリア教団の分離(前300頃)の間の時期だった。なおサマリア教徒は、「トーラー」だけしか聖書とは認めない。

第2段階では、「預言者」すなわち「ネビーイーム」が正典化された。各預言書の標題に示されているように、文字に書かれた預言者の言葉は、やがて神自身の言葉とみなされるようになったのである。様々な実際的な理由により、ヘブライ語聖書のこの第2の部分は、前3世紀末、前200年からそれほど遡らない時期に正典となった。

その間に、他かの書物が編集されたり、新たに書かれたり、礼拝や研究でもちいられるようになった。「シラ書」が書かれるころ(前180頃)までには、3つの部分からなる聖書という考え方が発展していた。第3部分をなす「諸書」すなわち「ケスービーム」の内容は、ユダヤ教では、後70年のローマ人によるエルサレム陥落の後まで、やや流動的だった。しかし、1世紀の末までには、パレスティナのラビたちが、正典にふくまれる文書の最終的な表を確定した。

正典化の経過においては、積極的な力と消極的な力の双方がはたらいた。一方では、ほとんどの決定が、事実上すでになされていた。律法、預言者、そして諸書の多くが、何世紀もの間、礼拝などで聖なる書物として用いられていたのである。賛否の議論が起こったのは、「コヘレトの言葉」や「雅歌」など、諸書中のいくつかの文書に限られる。

他方で、同じように神の言葉と称せられる、ほかの多くの宗教書が書かれ、流布しはじめていた。それらの中には、今日の「旧約聖書続編」ないし「外典」にある書物や、新約聖書のいくつかの文書も含まれる。その結果、どの書物にもとづいてユダヤ教のあり方と神との関係を規定するべきかという神学的問題にこたえるかたちで、「聖書」を確定する公的な措置が講じられたわけである


6.3.2 キリスト教の正典
現在、カトリック教会の聖書に含まれている第二正典は、はじめはヘブライ語の古い諸文書のギリシャ語訳として成立したものである。その萌芽は、前3世紀にパレスティナ以外の地域にあらわれた。エジプトやその他の地域のユダヤ人共同体は、自分たちの属する文化の言語による聖書を必要としていた。このギリシャ語版聖書にふくまれた、既存の文書への補遺を含む付加文書のほとんどは、そのようなパレスティナ外部のユダヤ人共同体の中で生まれたものである。

最初期のキリスト教文書が編集され、流布しはじめた後1世紀の終わりごろまでには、ユダヤ教に由来する(旧約)聖書の2つの版が既に存在していた。すなわちヘブライ語聖書とギリシャ語の旧約聖書(いわゆる「七十人訳」)である。ただし、ユダヤ教で信仰と生活の公的な規準となったのは、あくまでヘブライ語聖書である。ユダヤ教には、ギリシャ語聖書の諸文書の公認の一覧表がかつて存在したことを示す証拠は何もない。七十人訳に新たに付加された文書は、もっぱらキリスト教の中で公認されたに過ぎない。

キリスト教の初期の教父たちの著作には、聖書の内容を表した様々な表が含まれている。しかし、そこでは明らかに、長いほうのギリシャ語の旧約聖書が優勢だった。

ヒエロニムスキリスト教の正典の歴史において、最後の大きな段階を画したのが、宗教改革である。ルターは聖書をドイツ語に訳したとき、先人たち(たとえば4世紀の聖書研究家ヒエロニムス)が既によく知っていた事実を再発見した。すなわち、旧約聖書はヘブライ語で書かれたという事実である。ルターは、ユダヤ教の聖書に含まれない諸文書を除外し、それらを「外典」(アポクリファ)として区別した。この一歩は、最古(それゆえ最良)とみなされた本文と正典に立ち戻り、また教会の権威に対抗して、より古いかたちでの聖書の権威を確立しようとする努力のあらわれだった。


6.4 本文と古代語訳
現代の聖書翻訳者は、最古の本文、すなわち元々書かれた文章に最も近い本文を復元し、それをもちいようとしている。しかし、著者の自筆草稿や、その直接の写しはひとつも残されていない。それどころか、何百ということなる写本に膨大な異読が見出されるのである。したがって、特定の文書ないしある章句の最良の本文を確定しようという試みは、注意深い作業と、研究者たちの学識ある判断にもとづくものでなければならない。

6.4.1 マソラ本文
旧約聖書の場合、ヘブライ語本文と様々な古代語訳とに違いがある。ヘブライ語本文のもっとも重要な、そして通常はもっとも信頼できる資料は、マソラ本文である。これは、聖書を忠実に筆写し伝達することを使命としたユダヤ教の学者たち(マソラ学者)の手による本文である。紀元後の初めのころから中世まで活動したこれらの学者たちは、筆者以外に、本文に句読点を打ったり、母音記号を付け加えたり(ヘブライ語本文には、もともと子音字だけ記されていなかった)、様々な注を加えたりした。

今日、印刷された標準的なヘブライ語聖書の底本となっているのは、1008年に書かれたマソラ本文である。綴じ本になっているこの写本は、サンクトペテルブルクの公立図書館に保管されており、「レニングラード写本」とよばれる。もうひとつの写本、10世紀前半に書かれたアレッポ写本は、イスラエルのヘブライ大学が出版を準備している新しい版の旧約聖書の底本となっている。アレッポ写本は、ヘブライ語聖書全体のもっとも古い写本だが、それでも、旧約聖書中の最後に書かれた文書よりも1000年以上も後世のものである。もっとも古い部分からみれば、優に2000年以上も後のものと云うことになる。

ただし、個々の文書については、マソラ本文やその他の古いヘブライ語写本が残存している。19世紀後半には、カイロのゲニザ(使用済み写本の安置所)から、6世紀にまでさかのぼる数多くの写本が発見された。さらに1947年以降、死海周辺の地域から膨大な数の写本やその断片が発見された( 死海写本)。その大部分は紀元前のものである。もっとも重要な写本の多くはかなりあとのものだが、とくにマソラ本文は、少なくとも紀元前後にさかのぼる本文伝承を伝えたものである。

6.4.2 七十人訳とその他のギリシャ語訳
ヘブライ語聖書の古代語訳のうちもっとも重要なのは、ギリシャ語訳である。場合によっては、ギリシャ語訳のほうが事実上、現在まで残されているヘブライ語本文よりも優れた読みを伝えていることさえある。それが、我々のもとに伝わったものよりも古いヘブライ語本文を底本にして訳されているからである。ギリシャ語版聖書の写本の多くは、現存するヘブライ語聖書全編を含むヘブライ語写本よりも遥かに古い。それらは、4〜5世紀につくられたキリスト教の聖書の写本の中にもそのまま取り入れられた。主要な写本としては、バチカン写本(バチカン図書館蔵)、シナイ写本、アレクサンドリア写本(いずれも大英博物館蔵)などがある。

代表的なギリシャ語訳は「七十人訳」と呼ばれるが、これは、「トーラー」の部分が前3世紀に72人の学者たちによって翻訳された、という伝説にもとづいている。この伝説は、いくつかの点で正確なものと思われる。前3世紀、エジプトのアレクサンドリアでつくられた最初のギリシャ語訳は、「トーラー」だけが含まれていた。その後、残りの諸文書も順次翻訳された。しかし、それらを訳したのが別の学者だったことは明白で、その技量や翻訳に対する考え方はずいぶん異なっている。

七十人訳以外にも、数多くのギリシャ語訳がつくられたが、多くは断片や、初期の教父などの著作の中の引用というかたちで残っているに過ぎない。それらには、アクイラ訳、シュンマコス訳、テオドティオン訳などがある。

6.4.3 ペシッタ、古ラテン語訳、ウルガタ、タルグム
他かの古代語訳には、シリア語訳であるペシッタ(1世紀には既につくられ始めていたと思われる)、古ラテン語訳(2世紀に、ヘブライ語本文からではなく七十人訳から訳された)、ウルガタ訳聖書(4世紀末に、ヒエロニムスによりヘブライ語本文からラテン語に訳された)などがある。



古代語訳とならべて考察すべきものに、アラム語のタルグムがある。ユダヤ教では、日常語がヘブライ語からアラム語にかわるようになると、翻訳の必要が生じた。翻訳は最初、シナゴーグでの聖書朗読の際に口頭で行われたが、後に文字で書かれるようになった。タルグムは逐語訳ではなく、原文の内容の説明や解釈である。もともとパレスティナでつくられ、後にバビロンで改訂されたものに、2つの主要なタルグムがある。

最近になって、パレスティナ・タルグムの完全な形のものが発見された。バチカン図書館にあった「ネオフィティT」と呼ばれるものである。最も有名なバビロニア・タルグムとしては、モーセ五書についての「タルグム・オンケロス」と、預言者についての「タルグム・ヨナタン」がある。

古代語訳は、多くの場合、もともとのヘブライ語本文についての良質の資料であり、ときには最良の資料である場合さえある。これにくわえて、古代語訳は、聖書を真剣に受け止めた諸共同体の思想史に関する重要な証拠にもなっている。

6.5 旧約聖書と歴史
旧約聖書は、歴史の現実性と重要性に注意するように呼び掛けている。モーセ五書と歴史書には、救済史が描かれ、預言者たちはたえず過去と現在と未来の様々な出来事に言及する。旧約聖書でイスラエルの歴史が語られるとき、それは一連の重要な出来事や時代へと纏められる。すなわち、出エジプト(族長時代から、カナンの地の征服までを含む)、王国、バビロン捕囚、パレスティナへの帰還と宗教諸制度の復興などである。

6.5.1 歴史と解釈の区別
重要なのは、出来事についての旧約聖書の解釈と、批判的な歴史叙述とを区別しておくことである。信頼のおける記述を行うために、歴史家は一般に、対象となる出来事と同時代のほぼ客観的な史料を必要とする。

古代イスラエルの歴史に関する最大の史料は、なんといっても旧約聖書である。ただし、聖書の著者が関心を寄せたのは、通常、過去のもつ神学的意味についてである。しかも、文書のほとんどは、描かれる出来事よりも、場合によっては何百年も後代のものである。イスラエル王国の成立以前には、大した意味をもった文書記録は存在しなかった。この王国は、前11世紀にサウルが油をそそがれて最初の王に即位したとき、はじめて成立したのである。

旧約聖書とは別に、考古学は様々な文字史料や人工物の史料を発掘した。しかし、聖書史料についても考古学史料についても、充分な批判的吟味がなされねばならない。確かに、成立年代の確定できる聖書のテキストはいずれも、重要な歴史的情報を与えてくれはする。ただしそれらは、テキストが書かれた時代の諸事実を明らかにするものではあるが、そこに描かれる出来事についての正確な記録だとは限らないのである。

6.5.2 歴史的核の問題
イスラエルの生活は、古代オリエントの歴史の一部だった。地中海東部沿岸地方のほかの小国家群と同じように、エジプト、アッシリア、バビロニアといった大国の力によって翻弄されることが多く、独立した繁栄を享受できたのは、それらの大国が衰退したり、自国内部の抗争に専念せざるをえない場合だけだった。

6.5.2.1 イスラエルの最初期の歴史と発展
古代オリエント世界の歴史については、前3千年紀以降、かなり多くの記録が残されている。しかしイスラエルの詳しい歴史については、ようやくダビデ(前1000〜前961頃)の時代前後からしか記述できないというのが実情である。このことは決して、ダビデ以前の時代について何も云えないという意味ではないし、ダビデ以前の出来事についての記述がすべて不正確であるということでもない。むしろ、歴史的証拠を後代の解釈と分離することがかなり困難だという意味であり、確実に知りえることが比較的少ないということなのである。

たとえば、「創世記」における族長物語は、もともと歴史というつもりで書かれたものではない。歴史とは公的な出来事に関わるものだが、族長たちについての記述は基本的には家族物語であり、大部分は私的な事柄にかかわっている。ただし、考古学的証拠は、族長物語の背景や状況設定が、後期青銅器時代の生活を妥当に描いたものであることを明らかにした。それらの物語は、イスラエルの祖先たちが半遊牧民だったことを示しており、彼らの宗教的信仰や習慣について、様々な示唆を与えてくれる。

聖書に記された記録を念入りに分析し、考古学的な証拠を正当な形で用いることにより、出エジプトが起こったのは前13世紀の後半だったらしいことが明らかにされた。ただし、エジプトを出た人々が歩んだ経路さえ、はっきりとは判っていないのである。この経路に関して旧約聖書は、少なくとも2つの異なる伝承を保持している。また、全イスラエルが出エジプトに参加したわけでもない。それはヨセフ系の部族だけの体験だったというのが史実に近い。

「ヨシュア記」1〜12章と「士師記」1〜2章は、イスラエルの民がカナンに入った経緯について、2つの異なる仕方で語っている。「ヨシュア記」の総括的な記述によれば、イスラエルはヨシュアの指揮のもとで、短期間に一団となってカナンを征服したかのようにみえる。これに対し、「士師記」とほかの伝承は、個々の部族がゆっくりと、波状的にこの地に移住し、イスラエルが領土を獲得するには、何百年とはいわないまでも何十年もかかったという結論を支持するのである。したがって、征服の時代と士師たちの時代は、部分的に重なり合うことになる。

前1200年ごろから約200年間、個々の部族は、あるときは夫々独立した生活を営み、あるときは団結して行動したらしい。このようにして、かなりの時間をかけて漸進的に、イスラエルと呼ばれるとつの民族が形成されていったのである。

6.5.2.2 王
イスラエル王国は、前11世紀に、内部の紛争と外部からの脅威を背景として成立した。内部の紛争とは、この民族を統治する正しい形式はどのようなものか、という争いである。一部の人々は、伝統的に、危機の迫ったときだけカリスマ的な指導者が主導権を握るという形式を好んだ。しかし他の人々は、安定した王権の導入を望んだのである。結局、王政導入派が勝利を治めたが、これは、海岸平野の5都市を拠点としていたペリシテ人が強力な軍事力で進出つつあったという、外部からの脅威の故だった。

サウルは諸部族を統合して王権を確立したが、ペリシテ人との決戦で、息子のヨナタンと一緒に討ち死にしてしまう。その後、ダビデがまず南部部族の王となり、のちに全国民の王となった。彼にとって残された使命は、ペリシテ人の脅威に終止符を打ち、シリアからエジプトとの国境にいたる地域を支配する帝国を確立することだった。ダビデの治世は長く繁栄したが、王位を巡る王家内部の争いも絶えなかった。

その後ソロモンがダビデを継ぎ、ほかのオリエント諸国を手本に、宮廷をつくりあげた。ソロモンはまた、エルサレムに宮殿と神殿を建設したが、その贅沢な計画のために国民から重い税を獲り立てた。


6.5.2.3 イスラエルとユダの王国
ソロモンの死後、彼の息子レハブアムに北の諸部族が反逆し、王国は分裂した。以後、北のイスラエル王国と南のユダ王国は二度とふたたび統合されることはなく、しばしば戦いを交えた。ユダ王国では、バビロニアによる征服(前597、前586)に至るまで一貫してダビデ王朝が支配したが、イスラエルでは数多くのクーデタが繰り返され、何度も支配王朝が交代した。

分裂王国時代は、アラム人、アッシリア人、バビロニア人の脅威によって特徴づけられる。サマリアを都としたイスラエルは、結局、前722〜前721年にアッシリアによって征服された。国民は強制移住させられ、かわって異民族が住むようになった。ユダは、バビロニアによって2度にわたる屈辱をあじわわされた。すなわち、前597年の降伏と、前586年のエルサレムの破壊である。どちらの場合にも、捕虜はバビロンにおくられた (→ バビロン捕囚)。しかし、異民族がユダに移住することはなかったし、捕囚民もある程度の自由(少なくとも、互いに交流する自由)を認められたため、民族の生活は、バビロンでも故郷でもなお継続された。

捕囚は、以前から預言者たちによって予告されていた災いだった。しかしこの体験は、人々をうながして、民族としての自分たちの意味を再考させ、また自分たちの古い伝承を文書化し、解釈する機会を与えたのである。


6.5.2.4 捕囚終了後の時代
ペルシャ王キュロスがバビロンを征服し、前538年、人々はバビロンから解放された。捕囚から帰った人々は、民族の諸制度を復興し、神殿を再建した。この時代の指導者に、エズラとネヘミヤがいる。ユダはペルシャ帝国の一属州となり、人々にはある程度の自律、とくに宗教上の自由が与えられた。

捕囚以降のある時代に、イスラエルの歴史はユダヤ教の歴史にかわった。しかし、それを正確に何時とみるかについては、議論が分かれている。その後ユダヤ人は、アレクサンドロス大王の遠征(前333)とヘレニズム系諸王国の支配、ヘレニズム支配に抵抗するマカベアの乱とユダヤ人国家ハスモン王朝の支配、パレスティナにおけるローマの支配の確立(前63)といった波乱にとんだ出来事を越えて生きのびた。しかし、後70年前後のローマへの反乱(ユダヤ戦争)が失敗して、エルサレムが破壊されることにより、ユダヤ人の生活は劇的に変化を遂げることになる。

6.6 旧約聖書の神学的諸主題
旧約聖書の神学的主題は、実に豊富で深遠で多種多様である。諸文書は何世紀にもかけて、多くの個人や諸集団によって書かれたものであり、単一の神学で一貫しているわけではない。そこには、思想の変化と発展だけでなく、考え方の相違や、さらには対立さえ反映されている。たとえば、天地創造について、いくつものことなる解釈が並行的に保存されているし、預言者たちはくりかえし、祭司たちのものの見方に挑戦している。旧約聖書の諸主題は相互に関連し合い、密接な関係をもっているが、けっして統一的な組織神学ではないのである。聖書の正典化は、公認された文書の一覧表を確定したが、同時にそこに実質的な多様性があることを認めていた。

6.6.1 イスラエルの神
旧約聖書で最もはっきりとした主題は、同時に最も大きく重要な主題でもある。すなわち、ヤハウェ(旧約聖書における神の固有名詞)はイスラエルの神であり、さらに全世界の神であり、歴史の神である。この主題は、「出エジプト記」20章3節の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」をはじめとして、旧約聖書全体を一貫しており、その他のすべての神学的思索の土台をなしている。ただし、この主題を「一神教」と同一視するのは誤解のもとだろう。一神教という用語は、関連する旧約聖書のテキストに当て嵌めるにはあまりに抽象的すぎるし、最後期の資料の幾つかを除けば、他の神々の存在が当然のこととして前提にされているのである。

全体としてみれば、他の神々はヤハウェに従属する存在とみなされている。いずれにせよ、イスラエルは唯一人の神のみに仕えるべきなのである。この神はまた、世界の創造者であり、歴史に救いと裁きを生じさせる王とみなされる。全能ではあるが、自分の民に関心を寄せる。この神は、様々に異なる仕方で自己を啓示する神として知られている。すなわち、律法や、様々な出来事や、さらには預言者や祭司を通じて啓示するのである。

旧約聖書独特の語法は、ヤハウェの名を出来事と結び付けている。「わたしは主(ヤハウェ)、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(「出エジプト記」20章2節)。イスラエルは、神の本質について論じるというよりも、神がかつて何を行い、やがて何を行うだろうか、という表現で神を語ったのである。このことから、神が行為し、民と関わりを持つ領域としての歴史に特別の重要性が与えられる。この歴史的な語り口からの唯一の顕著な例外は、知恵文学だけである。

6.6.2 契約と律法
旧約聖書で根本的な意味をもつ他の2つの主題、契約と律法は、相互に密接に関連しあっている。契約には、国家間の条約や個人間の協定を含む様々な意味があるが、旧約聖書ではとりわけ、シナイ山におけるヤハウェとイスラエルの誓約を意味する。契約について語る語法は、古代オリエントの条約のそれと多くの共通性をもつ。両者はいずれも、誓いによって保障される合意である。旧約聖書では、ヤハウェが自分の民を選んだことにより、この契約における主導権を握ったように理解されている。おそらく、契約を表わす最も単純な定式は、「わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる」(「出エジプト記」6章7節)という文章だろう。

律法は、契約の一部として与えられたと解されている。それは、イスラエルが神の民となり、神の民でありつづけるための手段なのである。律法には、他人に対する振る舞いについての規定と、宗教的な慣習についての規則が含まれている。しかし、それはけっして、生活のための教訓を網羅的に集めたものではない。むしろ律法は、人々が契約を破らずに生きるための限界を定めているようにみえる。


6.6.3 人間
旧約聖書は、共同体の一員としての人間観を強調する。これは、上述のような契約の民にとってはとくに重要な事柄である。個人は、「創世記」2章7節に示唆されているように、命を吹き込まれた物体として理解されている。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」。この「息」とは、「魂」の意味でなく、単純に「生命」とみなすべきである。旧約聖書では人間は、身体と生命からなるひとつの統一体とみなされており、その全体が、神からの賜物と理解されている。したがって、死は生々しい現実として感じられた。死後の世界や死者の復活についての観念は、イスラエルの思想では後期に断片的にあらわれるにすぎない。

主として預言者にあらわれるが、ほかの個所でも基本的な意味をもつもうひとつの主題は、ヤハウェが義の神であり、彼の民に正義と善を期待している、ということである。そこには、人間関係における公正さ、弱者への配慮、正しい制度の確立といった事柄が含まれる。


7.新約聖書

新約聖書は、50〜150年頃に書かれた27の文書からなる。それらは、地中海周辺世界におけるキリスト教の共同体の信仰と生活について扱っている。その内のある文書、特に「マタイによる福音書」と「ヘブライ人への手紙」には、アラム語の底本が存在したと推測する学者たちもいるが、すべての文書がギリシャ語で伝わっている。いずれも最初からギリシャ語で書かれたという可能性がひじょうに高い。

7.1 本文、正典、初期の翻訳
一時、キリスト教の学者たちは、新約聖書のギリシャ語は特別な種類の宗教的言語であり、キリスト教の信仰を表現するための適切な媒体として、摂理によって与えられたものだと考えた。しかし今では、同時代の聖書以外の文書から、新約聖書の言語が「コイネー」とよばれる通俗的なギリシャ語であり、家庭や市場でももちいられていたことが明らかになっている。

7.1.1 写本と本文批判
完全な形をとったものや、部分や断片の形で現在まで残されている新約聖書の写本は、5000ほどもある。しかしそれらのいずれも、著者の自筆ではないし、もとのままの形でもない。おそらく最古のものは、120〜140年ごろの「ヨハネによる福音書」の断片だろう。時代の違いや、書かれた場所の相違や、書くための道具や方法の違いを考えてみれば、これらの写本が非常によく一致していることは、はなはだ注目に値する。しかし、そこには欠落、加筆、用語の違い、言葉の順序の相違など、様々な食い違いも見出される。

様々な写本を比較し、評価し、年代付けし、それらを幾つかの系統に分類し、著者が書いたものに最も近い本文を確定することは、本文批判学者たちの使命である。その際には、初期の教父たちの著作にみられる膨大な数の引用や、一連の初期の他言語訳が助けになる。

本文批判学者たちの努力の成果が、ギリシャ語新約聖書の校訂本であり、そこには最良のものと判断された本文だけでなく、主要な写本にみられる異読についての注釈も合わせてのせられている。そのような異読の重要なものが、翻訳聖書の脚注につけられる場合もある(たとえば「マルコによる福音書」16章9〜20節、「ヨハネによる福音書」7章53節〜8章11節、「使徒言行録」8章37節など)。ギリシャ語新約聖書の批判的校訂本は、16世紀のオランダの学者エラスムスのもの以来、一定の期間をおいてほぼ定期的に新しいものが出版されている。


7.1.2 正典化以前の文書
新約聖書の27の文書は、1〜3世紀に書かれたキリスト教の共同体の文書のほんの一部分にすぎない。新約文書の主要な類型(福音書、手紙、黙示録)は、ひろく模倣され、模倣書には使徒たちやその他の重要な人物の名前が冠された。それらの書物には、新約聖書が沈黙している事柄(たとえば、イエスの幼・青年時代)を扱ったものや、より多くの奇跡を求める声に応じたものや、より完全で新たな啓示を示すという触れ込みのものがある。当時、約50もの福音書が流布していたらしい。これらの非正典キリスト教文書は、近代以降あつめられ、「新約聖書外典(アポクリファ)」として出版されている。

この時代の文学についての知識は、1945年にエジプトのナグ・ハマディで、異端的キリスト教集団グノーシス派の諸文書が発見されたことにより、一挙に増加した。コプト語で書かれたこれらの文書は、その後、翻訳されて出版された。学者たちの注意は、とくに「トマス福音書」に集中している。そこには、イエスが十二使徒のひとりトマスに私的に伝授したと称される、全部で114の言葉が含まれている。

7.1.3 正典
キリスト教の公認正典を決定する際の判断基準や、正典化の経過について記録した資料は、何も残されていない。イエスとその弟子たちにとっては、ユダヤ教の「律法」と「預言者」と「諸書」がそのまま「聖書」だった。ただし、それらの文書の解釈は、弟子たちが理解したかぎりでのイエスの業(わざ)、言葉、人格によって規定されている。

イエスの業と言葉を保存し、宣教を継続した使徒たちは、特別の権威をもつ者とみなされた。たとえばパウロは、自分の手紙が教会で朗読されたり、さらには教会間で回覧されることさえ期待しているが(「コロサイの信徒への手紙」4章16節、「テサロニケの信徒への手紙一」5章26節以下など)、このことは、キリスト教の共同体内部で、信仰と生活の新しい規範が発展しつつあったことをしめしている。そしてその規範は、「主」(福音書に保存されている)と「使徒」(主として手紙に保存されている)の2本の柱からなる。

初期の教父たちの引用や言及を手掛かりに、新約聖書の正典形成の展開をたどろうとしても、不確かな試みしかなしえない。あまりにも多くのことが沈黙の中に隠されているからである。正典を確定しようという最古の試みは、150年ごろ、マルキオンという名の異端的なキリスト教徒によってなされたらしい。彼が許容した文書の表には、「ルカによる福音書」とパウロの手紙だけが含まれており、それらには強度の反ユダヤ主義的な編集が加えられていたらしい。おそらく、このマルキオンへの反発が、正典形成にむけての運動の広がりを加速化したのだろう。

200年頃までには、新約聖書の27の文書のうち20が、権威あるものとして広く受け入れられるようになっていたようである。そこここで、地域的な偏愛がみられたし、東方教会と西方教会でも違いがあった。全体としてみれば、一時は正典性に賛否両論があったが、結局受け入れられた文書として、「ヤコブの手紙」「ヘブライ人への手紙」「ヨハネの手紙・3」「ユダの手紙」「ペトロの手紙・2」「ヨハネの黙示録」がある。他方で、ひろく愛好されたが結局は正典入りを拒否された文書に、「バルナバの手紙一」「クレメンスの手紙」「ヘルマスの牧者」「使徒たちの教訓(ディダケー)」がある。

アレクサンドリアの司教アタナシオスが、367年に自分の管轄下にあった諸教会に送った「第39復活祭書簡」は、新約聖書正典の範囲に関するあらゆる曖昧さに終止符を打つものだった。毎年の四旬節のメッセージを集めた書簡集に収められているこの「復活祭書簡」は、正典とされるべきものとして27の文書を挙げており、それが結局、新約聖書の内容として残されたのである。ただしアタナシオスは、現在のものとは異なる順序でそれらを挙げている。


7.1.4 初期の翻訳
新約聖書はギリシャ語で書かれたため、本文の伝承や正典の確立について論じる際には、初期の翻訳の問題が度外視されがちである。しかし、それらの翻訳のいくつかは、現存する最古のギリシャ語本文よりも古いのである。

キリスト教がギリシャ語圏をこえて急速に広まったため、必然的に、シリア語訳、古ラテン語訳、コプト語訳、ゴート語訳、アルメニア語訳、グルジア語訳、エチオピア語訳、アラビア語訳などがつくられた。シリア語訳と古ラテン語訳は2世紀にまでさかのぼるし、エチオピア語訳は3世紀には始められていたらしい。これらの初期の翻訳は、けっして公式の翻訳ではなく、礼拝や説教や教化にもちいるための地域的な必要性に応じて生まれたものである。したがってそれらの訳には、地域の方言が入り混じっており、新約聖書の抜粋というものもしばしばある。

4〜5世紀には、これらの地方的な翻訳にかわって、より標準的でより広く受け入れられうる翻訳版をつくろうという努力がなされた。382年、教皇ダマスス1世は、ヒエロニムスにラテン語版聖書をつくるように委託した。こうして生まれたのがいわゆるウルガタ訳聖書であり、それは結局、より古いラテン語本文を駆逐することになる。5世紀には、それまで広く愛用されてきたシリア語訳にかわるシリア語ペシッタが成立する。このような場合の常として、古い訳はゆっくりと様々な困難を伴いながら、新しい訳に取って代わられた。


7.2 新約聖書の諸文書
文学という視点からみれば、新約聖書の諸文書は、4つの主要な類型にわけられる。すなわち、福音書、歴史、手紙、黙示録である。このうち、キリスト教の共同体でつくられた固有の文学類型は、福音書だけだと思われる。



福音書が扱う時代 マタイ、マルコ、ルカそしてヨハネの4福音書は、イエスの生涯の異なる時期の異なる出来事を扱っている。この表のように、マタイ、ルカによる福音書はイエスの誕生からを、マルコ、ヨハネの福音書はイエスの洗礼からの時代を扱っている。また、見方、解釈の仕方などの点で、ヨハネによる福音書だけが、他の3福音書とくらべて際だった違いを示している。

7.2.1 福音書
福音書は、ギリシャ・ローマの人間や神々を主人公とする伝記にある意味で似ているが、けっして本来の意味での伝記ではない。福音書は、イエスの業(わざ)と言葉についての個々の記述を集めたものであり、各記述はそれ自体で相対的な完結性をもつが、全体でひとつのクライマックスをなすような仕方で配列されている。福音書の著者たちは、時間的順序にある程度関心をもっているようにはみえるが、それは第一の関心とはいえない。素材の配列に大きな影響を与えているのは、神学的な関心と読者のための必要性である。

それ故、4つの福音書はすべて、ナザレのイエスを中心に据え、福音書という形式をそなえてはいるが、それでもなお、各書の間に様々な違いがあることが当然のこととして予想される。実際に、そのとおりなのである。4書の記述が驚く程よく似ているイエスの逮捕、裁判、死と復活をのぞけば、福音書は、重要な細部、見方、解釈上の強調点の置き方などに関して、それぞれ異なっているいる。

これらの点で、4書中もっとも目立った相違を示しているのが、「ヨハネによる福音書」である。この福音書では、イエス・キリストは、より明確に神的存在として、全知者として、すべてを統御する存在として、「上から」きた者として描かれている。他の3つの福音書は、数々の相違にもかかわらず、3つをならべて比較できることから、「共観福音書」と呼ばれている。

「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」の各書は、非常に多くの共通性や類似性を示すので、それらの相互関係について数多くの理論が提唱された。学者たちの間でもっとも広く受け入れられている見解は、「マルコ」が最初に書かれ、それが「マタイ」と「ルカ」の執筆のための資料として用いられた、とするものである。また「マタイ」と「ルカ」は、それぞれ別の資料を用いているだけでなく、もうひとつ、共通の資料を用いているという可能性が高い。このことは、「マタイ」と「ルカ」に、「マルコ」にはみられない共通の素材が数多く見出される、という事実から推測できる。

この理論上の、まだ現物が発見されていない資料は、単に「Q資料」(ドイツ語のQuelle「資料」に由来)と呼ばれている。「ルカによる福音書」の著者は、その序文で、自分はイエスについての数多くの文書を調べた、と記している(1章1〜4節)。


7.2.2 歴史
新約聖書における歴史物語の代表は、「使徒言行録」である。この書物は、ルカが書いたとされる2巻本の書物(しばしば「ルカ・言行録文書」と呼ばれる)の第2巻にあたる。この2冊は、イエスの物語と彼の名によって立てられた教会の歴史を、ひと続きのものとして記述するとともに、それらをイスラエルの歴史とローマ帝国の歴史の中に位置づけている。歴史の描き方は神学的であり、神が出来事の中で、もしくは主人公たちとともに、いかに行為したのか、という解釈をしめしている。「使徒言行録」は、歴史記述を宣教という目的のために用いているという点で、新約聖書の中でも独自のものである。

7.2.3 手紙
ギリシャ・ローマ世界の手紙は、書き手の署名、あて名、安否を問う挨拶、称賛ないし感謝の言葉、メッセージ、別れの挨拶などからなる、かなり画一化された文書形式をもっていた。パウロは、彼がたてた諸教会との連絡のために、また遍歴する使徒にとって便利な通信手段として、手紙を愛用した。手紙という形式は、その後キリスト教の共同体では広く受け入れられ、教会の指導者や文筆家の間でも用いられるようになった。彼らが書いた手紙の一部は新約聖書にも収録されているが、手紙というのは外見上のことで、実質的には説教や勧告や論説である。

7.2.4 黙示文学
黙示的描写は新約聖書全般にみられるが、もっとも大規模に展開されているのは、「ヨハネの黙示録」においてである。黙示文学は通常、教団にとって切迫した危機の時代、すなわち人々が現在をこえた彼方に目をむけ、人間の力を越えた助けと希望を求めるような時代に書かれるものである。この文学は非常に幻想的、象徴的であり、世界の状況に対し悲観的であり、現世を越えた霊界と歴史を越えた勝利のみに希望を託す。そこでは公正な裁きと報償が世の終わりの幻想を特徴づけている。「ヨハネの黙示録」は、ローマ皇帝ドミティアヌス(在位、後81〜96)のキリスト教迫害の最中に書かれたらしい。

7.2.5 文学類型
これらの4つの主要な文学類型の内部では、さらに、詩歌、賛歌、信仰告白定式、格言、奇跡物語、「幸い」の言葉、ディアトリベー(人生の諸問題をめぐる議論の形式)、徳目表、たとえ話など、多種多様な文学類型が用いられている。最近の聖書学では、文学類型に大きな関心を示している。文学類型は、内容の理解にとって不可欠なだけでなく、読者が特定の章句によってつくりだされる体験を共有するための媒介でもあったからである。類型には、世界をつくりだしたり、関係を規定したりする力がある。それらは決して、内容の単なるアクセサリーではない。

過去の聖書研究者の著作では、多くの注意がたとえ話に注がれ、それらはアレゴリー(寓意)として解釈された。しかし19世紀の末に、ドイツの聖書学者アドルフ・ユーリッヒャー(1857〜1938)が、新約聖書のたとえ話はアレゴリーではなく、リアルな直喩であると主張し、たとえ話の解釈に新局面を開いた。彼は、イエスのたとえ話は絵解き物語と理解されるべきであり、その意味は単一の主題ないし命題に言い換えることができると考えたのである。

最近では、たとえ話が文芸的な作品であり、詩と同様の力と機能をもつものとみなされるようになっている。したがってたとえ話を、言い換えや要約の摘要によって破壊してはならない、と主張される。文芸としてのたとえ話は、たんに要点を伝えようとするだけではなく、読者に様々な働きかけを行う。すなわち、特定の人生観や世界観をつくりだし、あらためさせ、さらには粉砕するのである。新約聖書のほかの文学類型についても、学者たちの研究が進みつつある。


7.3 新約聖書における歴史
新約聖書は、歴史的具体性から隔絶した格言や思索や瞑想の集成ではない。反対に、そこに含まれた諸文書は、ナザレのイエスという歴史上の一人物に焦点を絞っており、ローマ帝国の支配する歴史の様々な脈絡の中で、イエスの弟子たちが直面した諸問題について扱っている。ただし、歴史的な出来事、人物、状況への関心は、新約聖書が純粋な歴史的・年代学的関心に支配されているということを意味しない。

7.3.1 大まかな年代学的輪郭
洗礼者ヨハネからヨルダン川の河辺で洗礼をうけたあと、イエスは3年間の宣教活動をはじめ、ユダヤとガリラヤ地方をすみずみまで旅した。それは現在のイスラエルの一部とヨルダン川西岸地域にあたる。宣教の最後に、イエスはエルサレムへむかい、ここで十字架にかけられた。


新約聖書の諸資料に描かれた歴史を再構成する試みは、数々の困難に突き当たらざるをえない。

第1に、諸文書は年代学ではなく、神学的な原理にもとづいて配列されている。福音書が最初におかれているのは、イエスの物語を語るものだからである。しかし、それらが書かれたのは後70〜90年であり、イエスの死後60年近くも後のことである。「使徒言行録」も同じ時代に書かれた。これに対し、パウロの手紙は最も早い時期のもので、伝道旅行を行っていた後50〜60年に書かれた。残りの諸文書は、90〜150年に書かれたものであり、使徒時代より後の教会の状況を反映している。

第2に、諸文書は、年代誌としての歴史にあまり関心を寄せてはいない。その理由のひとつは、歴史の終末が差し迫っていると信じられていたからである。

第3に、新約聖書は単一の書物ではなく、礼拝や説教や教化や論争といった特別の目的のために保存された、教会がつくった集成なのである。


第4に、諸文書は、いずれもキリスト教信仰の擁護者により、宣教や教育のために書かれたものである。したがって、それらの文書は、歴史的な言及を含んではいるが、決して歴史的報告そのものではない。

以上のような困難に加えて、同時代の聖書以外の史料には、イエスや彼の弟子たちについてほとんど言及がないという事実がある。それ故、詳細な歴史をかたる可能性は、ますます遠のいてしまうのである。

それにもかかわらず、大まかな年代学的輪郭については、学者たちの間で一般的な合意がなりたっている。主たる手掛かりを与えてくれるのは、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」である。それらは、イエスの物語と教会の始まりの物語をユダヤとローマの歴史の脈絡の中に置こうとしているからである。

「ルカによる福音書」は、イエスの宣教の始まりが皇帝ティベリウスの治世第15年だったと述べている(3章1節)。これは、後28〜29年に当たる。4つの福音書はすべて、イエスの十字架刑はピラトがユダヤの総督だった時代(後26〜36)のことだったと語っている。したがってイエスの宣教は、それがたった1年間だったという見解によれば、29〜30年までであり、3〜4年間だったとする理論にしたがえば、29〜33年までだったことになる。

7.3.2 誕生物語
公的生活を開始する前のイエスについては、ほとんどなにも知られていない。イエスの出身地はガリラヤのナザレだが、「ルカによる福音書」と「マタイによる福音書」は、彼がかつてのダビデの故郷、ユダヤのベスレヘムで生まれたと語る。イエスの誕生物語と幼年物語を含んでいるのはこの2書だけである。しかし、両者の記述はいくつかの点で異なっている。

「ルカ」(1章5節〜2章52節)は、この物語を旧約聖書から敷衍された詩や歌をもちいて語っており、貧しい者、虐げられた者に対する神の配慮を強調している。「マタイ」(1章18節〜2章23節)は、イエスの誕生を、旧約聖書のモーセの誕生を雛型として描いている。モーセが幼年時代、エジプトの富裕な人々と賢者の間で育ったように、イエスもまた、富と知恵に恵まれた人々(東方の賢者)の訪問を受け、彼らに崇敬される。モーセが、イスラエルの幼児たちを殺そうとする邪悪な王から隠されるように、イエスもまた、ヘロデ大王の虐殺をまぬがれる(ちなみに、ヘロデは前4年に死んだので、イエスはおそらく前6年と前4年の間に生まれたものと思われる)。

新約聖書のその他の文書は、イエスの奇跡的な誕生については沈黙を守っている。教会史を通じて、あるキリスト教徒は、イエスの誕生物語を文字どおりの意味で理解するべきだと主張し、他のキリスト教徒は、イエスが神の子であるという信仰を表現する多くの仕方のひとつに過ぎないと主張する。新約聖書には、報告者自身による出来事の描写なしに、出来事の意味だけを宣言する傾向があるので、歴史的問題に携わる人々の間に多くの異論の余地を生んできたのである。

7.3.3 使徒と初期教会
4つの福音書に記されたイエスの宣教につづいて、彼が使徒として選んだ12人の人々が宗教運動の主導権を握る。12人のほとんどについては、詳しいことがよく分からず、伝説的要素が入り交じっているが、そのうち3人の人物が永続的な指導者として言及される。

まずヤコブ。この人物は、ヘロデ・アグリッパ1世によって殺された。それは、ヘロデ自身が死ぬ後44年の少し前のことだった。次にヤコブの兄弟ヨハネ。彼は高齢まで生きのびたらしい(「ヨハネによる福音書」21章20〜24節)。そしてペトロ。彼はエルサレム教会の初期の指導者だったが、何度かの伝道旅行も行い、伝説によれば、60年代の中ごろにローマで殉教した。

この3人にくわえて、イエスの兄弟ヤコブがエルサレム教会の有力な指導者だったが、後61年に集団暴行によって殺された。66年にエルサレムでローマ帝国に対する反乱がはじまる前に、キリスト教徒たちはこの町を脱出し、70年に鎮圧されたこの暴動にはくわわらなかった。

「使徒言行録」の記録で最も注目を集めているのは、パウロである。彼はタルソス出身のユダヤ人で、後33〜35年ごろキリスト教に改宗した。14年間の沈黙期間の後、シリア、ガラテヤ、小アジア、マケドニア、ギリシャへの伝道旅行を行いながら、手紙を記しはじめ、60年代前半にローマで死んだらしい。パウロの手紙と「使徒言行録」は、初期キリスト教の共同体の生活と、より大きな諸文化との関係を理解するための幾つかの手掛かりを与えてくれる。

新約聖書の残りの諸文書は、歴史的情報をほとんど含んでおらず、正確な成立年代もさだかでない。全体として、第2世代、第3世代の共同体によって書かれたものと考えられている。それらの文書では、イエスの直接の弟子たちは既に死に、初期の熱狂と、キリストが歴史を終わらせるため
再臨することへの篤い期待はもはや萎みつつあり、組織の存続と強化、制度化の必要性が明白なものとなっている。また、異端者や背教者が指摘され、攻撃されており、信徒にはきたるべき迫害にそなえて、信仰の強固さが要求されている。

新約聖書中おそらく最後に書かれた「ペトロの手紙二」は、歴史の終わりが間近に迫っているという初期の待望を回復させようと、多大な努力を注いでいる。過去の情熱と確信を復興させようというこのような努力そのものが、ひとつの時代の終わりを表わしているのである。


7.4 新約聖書の主要諸主題
旧約聖書と同じように、新約聖書もまた、多様で豊富な内容の主題をもつ。

7.4.1 神
神についての教え以上に、旧約と新約の連続性や一貫性を示すものは他にない。イエスの神や初期教会の神がユダヤ教の神とは別のものだとする見解は、すべて異端としてしりぞけられた。新約聖書の神は、生きとし生けるものすべての創造者であり、宇宙の維持者である。万物の源泉であり最終的目的であるこの唯一の神が、主導権を握り、愛をもってすべての人類を求めている。この神は、神に応答する者たちと契約関係に入り、正義と慈しみ、裁きと許しをもって彼らに対する。

この神は、世界に証人を残さずに隠れているようなことはしない。むしろ、様々な仕方で、また様々な場所で、繰り返し自己を啓示してきた。しかし、新約聖書は、ナザレのイエスにおいて無比の仕方で神の啓示がなされたと主張する。イエスの人格、言葉、業(わざ)は、信徒たちを神の臨在に導くものと理解された。まだユダヤ教の枠内にあった時代に、教会は神への信仰を受け継ぎつつ、神の啓示者としてのイエスをそのメッセージの中心に据えた。しかしやがて、ユダヤ教の枠を越えて、唯一の真なる神への信仰がキリスト教の宣教の基礎となった。


7.4.2 イエス
新約聖書はイエスについての理解を、その称号と人格についての描写、言葉と業の記述をとおして提示している。旧約聖書はユダヤ教の文脈の中で、弟子たちにとってのイエスの意味を伝える称号とイメージを、新約聖書の著者たちに提供した。たとえばイエスは、モーセのような預言者として、ダビデのような王として、約束されたメシアとして、第2のアダムとして、メルキゼデクのような祭司として、「人の子」のような黙示的人物として、「イザヤ書」にえがかれた苦難のしもべとして、そして神の子として描かれる。

ヘレニズム文化は、これとは別のイメージを提供した。すなわち、先在の神的存在が地上に降臨し、自分の使命をなしとげたあと、栄光のうちにかえっていくというイメージ、あらゆる王や皇帝を越えた君主、創造と贖(あがな)いの永遠の仲介者、すべての被造物を自分のもとに集め、一体となった調和の中にたもつ宇宙的な主宰者、といったイメージである。

福音書は、イエスの宣教を、この世における神の臨在として描き出す。イエスの言葉は、神の言葉と、神の民にとっての神の道を啓示する。イエスの業は、身体と心と霊の健全さをもたらす神の癒しの力を証明する。イエスの受難と死は、神の無限の愛の証とする。イエスの復活は、イエスの人生と死とメッセージを神が受け入れたことの印である。

パウロやその他の著者たちは、イエスの死は、人類の罪のための犠牲であり贖罪行為だったと論じ、イエスの復活は、彼の信徒たちの復活の保証であると主張した。迫害中に書かれた諸文書(「ペトロの手紙一」「ヨハネの黙示録」)は、イエスの受難を、殉教するキリスト教徒の模範として解釈している。


7.4.3 聖霊
イスラエルの預言者の何人かは、「終わりの日」に神が全人類に神の霊をそそぐだろうと預言した。新約聖書は、この約束がイエスの時代に成就したと主張する。そのため新約聖書では、神の活動的な臨在をえがく表現として、「神の霊」という語が至る所で用いられる。これは、場合によって「霊」「聖霊」「弁護者」「キリストの霊」「真理の霊」など、様々な呼称で呼ばれる( 三位一体)。

聖霊はイエスを力づけ、また、イエスがはじめた業と教えを教会が継続することを可能にする。聖霊はまた、個々の信徒の中に、キリスト者としての生活に相応しい質をもたらし、共同体の福祉のために働いたり、仕えたりする素養を与える。当然のように、「霊」というカテゴリーは多様な解釈を生み、多くの教会でいろいろな問題を引き起こしてきた。新約聖書には、聖霊が会衆や個人に本当に影響を与えているのかどうかを決定する、明瞭な基準を見い出そうとする苦闘が反映している。


7.4.4 神の国
新約聖書によれば、イエスの中心的なメッセージは、神の国だった。イエスは、「近づきつつある」神の国のために、悔いあらためて準備するように説いた。神の国とは、神の王的統治ないし支配のことであり、イエスの宣教では、この神の支配がすでに現実のものとなっていると宣言される。しかし、神の国の臨在は、まだ完全で最終的な形をとっているわけではない。だからこそ、神の国の到来は、あたかも未来の出来事であるかのように語られるのである。

新約学者たちは、イエスと彼の弟子たちが、自分たちの時代に神の国が完全な形で到来すると信じていたかどうかについて、議論をつづけてきた。この論争が未解決であることは、神の国についての新約聖書の教えを特徴づけるためにしばしばもちいられる、「すでに……」と「いまだに……ない」という2つの言葉に集約的に表現されている。


7.4.5 救い
神の国が、教会のメッセージの中心主題でありつづけることはなかったようにみえる。新約聖書によれば、教会は、自己を神の国と同一視したわけではなく、説教の中で、それとは別の仕方での救いについて語りはじめた。通常「救い」という語は、神と和解した関係におかれることを意味し、すでに和解に達していると同時に、和解をさらに進める共同体への参加を意味する。この意味で、救いはすでに現実のものとなっていると同時に、まだ完全なものではない。救いの完成とは、この世の特徴である争い、虚しさ、死の束縛を越えた、完全な命にあると云わねばならない。

パウロは、神の目的が究極的に完成するとき、宇宙的な規模での救いが実現すると信じた。贖(あがな)いの範囲は、創造の範囲と一致するはずである。このことはすなわち、新約聖書によれば天、地、地下の世界に棲むという敵対的な霊力さえ、最終的には、神の慈しみにあふれる計画と調和的関係におかれることを意味する。終末についてのこの幻想は、「ヨハネの黙示録」のそれとはことなっている。後者によれば、世の終わりは、聖者たちの義認および報償と、悪人たちの断罪によ
って特徴づけられるからである。

7.4.6 倫理
時とともに、キリスト教徒は、自分たちが神と和解していることを、行動や人間関係の中で示すように求められるようになった。宗教的信仰と道徳的・倫理的行動の間に不可分の関係があるというのは、新約聖書全体の教えであるとともに、旧約聖書から受け継いだ遺産でもある。「律法」も「預言者」も「諸書」も、この点を力説したし、新約聖書もこの強調点を継続した。

倫理的な生活は、正しい生き方、聖なる生き方、神的な生き方、敬虔な人生など、様々な表現で語られる。新約聖書の諸文書は、内面的な意味のみならず、隣人や敵対者や家族に対して、主従関係に関して、政府の役人に対して、神との関係について、倫理的な生活に関わる数多くの教示に満ちている。教示のもとになっているのは、旧約聖書、イエスの言葉と行い、使徒の命令、自然法則、家庭内の義務の一般的なリスト、ギリシャの道徳家たちの理念などである。これらの典拠はすべて、究極的には唯一の神を源にしていると理解されている。神は、自らの信義が、和解して神の家族となった人々の中の同じような信義によって応えられることを期待して止まない存在なのである。


8.聖書の近代語訳
ヨーロッパ諸国で部分的に行われていた聖書の各国語訳が、思想的にも文化的に大きな役割を果たすのは、16世紀以降の宗教改革との関連においてだった。それ以前には、カトリック教会の典礼でラテン語の聖書がもちいられ、聖書の知識が一部の聖職者や知識人に独占されていたのに対し、宗教改革は基本的に「聖書のみ」に権威をみとめ、聖書を民衆に開放することを目指すものだったからである。また、ルネサンス期における活版印刷の発明が、各国語聖書の普及に拍車をかけたことも忘れてはならない。

8.1 ドイツ語訳
ドイツでは、宗教改革の創始者ルターが、迫害中に庇護者の城にかくまわれながら、まず新約聖書を(1522)、ついで旧約聖書と続編(アポクリファ)をふくむ聖書全体を翻訳、出版した(1534)。ルター訳聖書は、その後多くの改訂を加えられ、現代語に直されながら、現在でも広くドイツ語圏でもちいられている。近・現代になると、学問的聖書研究の成果を折り込んだ「チューリヒ聖書」(1931)や、カトリックを中心とした翻訳委員会による「統一訳」(1980)などが出版されている。また、ユダヤ人による旧約聖書のドイツ語訳としては、マルティン・ブーバーとフランツ・ローゼンツバイクのもの(1925〜29)が有名である。

8.2 英語訳
イギリスでは、既にルター以前に、宗教改革の先駆者ジョン・ウィクリフが弟子たちとともにラテン語聖書を英語に訳した(1380頃)。宗教改革の初期には、ウィリアム・ティンダルがルターと並行して新約および旧約聖書の翻訳に取り組んだ(1525〜30頃。旧約聖書は未完)。イギリスの宗教改革がいちおう完了すると、ジェームズ1世の命令により新しい聖書の英訳が行われ、1611年にいわゆる「欽定訳」(略号AV)ないし「ジェームズ王訳」(KJV)が成立し、英国国教会における使用が義務づけられた。この聖書の格調高い文体は、その後の英語や英文学のあり方にも大きな影響を与えたと云われる。

近・現代になると、聖書学的研究の成果を取り入れた欽定訳の改訂が行われ、イギリスで「改訂訳」(RV。1881〜85)、アメリカで「アメリカ標準訳」(ASV。1901)が出された。後者は後に更に改訂されて、「改訂標準訳」(RSV。1946〜52)、「新改訂標準訳」(NRSV。1989)となった。他方でイギリスの学者たちを中心とした独自の「新英語聖書」(NEB。1961〜70)が出版され、のちに改訂されて「改訂英語聖書」(REB。1989)として現在に至っている。

そのほか、アメリカではカトリック系の「新アメリカ聖書」(NAB。1970)、保守的なプロテスタント教派による「新国際訳」(NIV。1973〜79)も出されている。また、アメリカのユダヤ出版協会(JPS)は旧約聖書の独自の英訳「ユダヤ教聖書」(1962〜83)を出版している。個人訳や小教派のものなど、英訳聖書は枚挙にいとまがない。


8.3 フランス語訳
フランスでは、宗教改革の先駆者ルフェーブル・デタープルが聖書全巻のフランス語訳を1530年にアントワープで出版したほか、カルバンの弟子オリベタンの訳(1535)、より近代的なオステルバルドの訳(1724〜44)と、それを改訂した「シノド聖書」(1910)、さらにはルイ・スゴンの訳(1874〜79)がプロテスタントの間で広く用いられた。カトリックのものとしてはルーバン大学の教授たちによる「ルーバン聖書」(1550)、パスカルも引用したルイ・ドゥ・サシ(1667〜1701)のものなどが出された。

近・現代の学問的成果を取り入れたものとしては、フランス聖書協会の100周年を記念した「100年記念聖書」(1929〜47)のほか、詳細な注を加えた「エルサレム聖書」(1948〜54。注を簡略化した一般向けの版は1956年刊行)が出され、後者はアメリカやドイツのカトリック訳で類似した試みが行われた。


8.4 広まる聖書
オランダや北欧でも、宗教改革と同時に自国語聖書の翻訳、出版が始まった。その後、聖書翻訳は急速に広まり、今日では、世界中の民族が自分たちの言語で聖書を読むのはむしろ当たり前のことになった。1995年現在で世界2123言語、毎年約6億部の聖書が出版されていると云われる。また最近では、信仰一致運動の一環として、カトリック教会とプロテスタント教会が協力して聖書翻訳を行い、教派をこえて同じ聖書を用いようという運動が拡がっている。70年代以降、英語圏やドイツ語圏、フランス、中国語圏(香港)、韓国、イタリア、日本などでカトリックとプロテスタントによる「共同訳」が出版され、現在では300言語以上の共同訳が実現している。

8.5 日本の聖書
8.5.1 明治期
日本では、まずキリシタン時代にカトリック宣教師たちが部分的な聖書の和訳を試みたが、やがて禁教、鎖国となった。しかしドイツ系プロテスタントのアジア宣教師ギュツラフは、マカオで日本人の漂流水夫たちから日本語を学び、1837年にシンガポールで「ヨハネ福音書」と「ヨハネ書簡」を出版した(「ヨハネ福音書」冒頭の訳は、「ハジマリニカシコイモノゴザル」)。

開国後は、各教派のプロテスタント宣教師たちが相次いで来日し、聖書の日本語訳に取り組んだ。1872年(明治5)、それらの宣教師たちの一部は各派合同の宣教師会議で新約聖書の共同訳を決議し、長老派のヘップバーン(ローマ字表記法を確立したことでも知られるヘボン)やサミュエル・ブラウン、会衆派のダニエル・グリーンなどが中心となり、奥野昌綱らの日本人の協力も得て80年に「新約全書」を出版した。

これと並行して1878年には旧約聖書翻訳のための委員会がつくられ、植村正久ら日本人の協力をえて逐次分冊で刊行されていった。87年には旧約全巻が完結、ここに初めて旧新約全体からなるいわゆる「明治元訳(もとやく)」が完成し、翌88年にはあらためて合本として出版された。このうち新約の部分は大正期に大幅な改訂を加えられた(この形態がいわゆる「文語訳聖書」)。

カトリックでは、エミール・ラゲがやはり日本人の協力をえて、ウルガタ訳聖書から新約聖書を翻訳し、1910年に出版した。なおカトリックによる最初の文語訳の旧約聖書は、フランシスコ会士のブライトゥングと川南重雄による「旧約聖書」(1954〜59)である。

8.5.2 昭和期
昭和期に入ると、1937年(昭和12)に日本聖書協会が設立され、聖書全巻のより大規模な改訳が計画された。しかし太平洋戦争を挟み、またその間の国語の急速で著しい変化を受けて、やがて従来のような文語訳でなく、平明な口語による新訳を行うことに方針が転換された。こうして51年には口語訳のための委員会が設立され、54年には新約が、また55年には旧約が完成した(いわゆる「日本聖書協会口語訳」)。

これと並行して、カトリックではサレジオ会士フェデリコ・バルバロが、日本人神父の協力を得て1950年以降、口語訳の聖書を分冊で刊行し始め、53年には新約が、また64年には第二正典を含めた旧新約全巻が完成した(80年に改訂。いわゆる「バルバロ訳」)。

他方で、神学的な理由から聖書協会口語訳の受け入れに消極的だった保守的な諸教派は、1961年に新改訳聖書刊行会を設立して独自の口語訳に着手し、65年には「聖書新改訳」の新約を、70年には旧約聖書を出版した。その後、さらに教派で独自の訳をだす動きも幾つか出てきた。

1970年代に入ると、第2バチカン公会議をうけたカトリック教会の方向転換と、信仰一致運動の世界的な盛り上がりを受けて、カトリックと聖公会を含めたプロテスタントの協力による共同訳聖書の計画が持ち上がった。70年には共同訳聖書実行委員会が結成され、78年に日本聖書協会から「新約聖書共同訳」が刊行された。しかしこの訳は、固有名詞のギリシャ語風表記と、動的等価(ダイナミック・エクィバレンス)理論による大胆な意訳(たとえば「マタイオスによる福音」5章3節は「ただ神により頼む人々は、幸いだ」)の故に、賛否両論を呼んだ。

その後、委員会内部で、旧約翻訳に際して従来に近い固有名詞とより逐語的な訳への方針転換がなされたため、新約も大幅に改訳され(「マタイによる福音書」5章3節は「心の貧しい人々は、幸いである」)、1987年に「聖書新共同訳」として刊行された。なお、カトリックや聖公会とほかのプロテスタントでは旧約聖書に含める文書の範囲がことなるため、新共同訳は「旧約聖書続編」付きのものと、旧新約聖書のみのものの2種類が出版された。

これらの礼拝用聖書とは別に、宣教師や牧師、聖書学者などの個人訳も20世紀初めから試みられた。初期の代表的なものとしては、左近義弼(よしすけ:旧・新約の一部)や湯浅吉郎(旧約の一部)、永井直治(新約:「新契約聖書」)らのものがある。口語訳で現代の聖書学の成果を取り入れたものとしては、塚本虎二による「福音書」(1963)、前田護郎による新約(1983)、柳生直行による新約(1985)、中沢洽樹(こうき)による旧約(一部。1968)、関根正雄による旧約(1995)などが代表的なものである。

また研究所によるものとしては、日本聖書学研究所の研究者たちによる旧新約の敷衍訳(一部。1970〜74)や、カトリックのフランシスコ会聖書研究所による詳細な注付きのもの(1958年から分冊で刊行、新約は79年に完結、旧約は96年現在なお継続中)がある。さらに、1995〜96年には、日本聖書学研究所の有志研究者たちが新たに新約聖書翻訳委員会を結成、最新の聖書学的知見をとりいれた注付きの「新約聖書」(5分冊)を岩波書店から出版した。旧約聖書についても、96年現在、同じような企画が準備されている。

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