2.7 絵日記、暁斎画談、その他


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(1) 絵日記

 暁斎の絵日記は明治三年頃から同二十二年三月二十六日まで休みなく書き続けられた。 しかし、二十二年の一月八日には「病気に付き一月、日記つかず」とあって、二ヶ月の空白の後、三月十七日と書かれた頁に日付のみが二十六日まであるのが最後となっている。 その後は、錯乱したような一頁のあとに、いろいろなデッサンが描かれ、あたかも暁斎の一生を閉じるかのような鬼の絵で絵日記は終わっている。
膨大な絵日記の大半は散逸し、ほんの一部しか残っていない。 しかし、残されている部分だけでも量的には数百枚に及び、明治の生活資料としても、また絵師という特殊な環境の貴重な資料といえる。
以下に、その一部を、「絵日記」研究会(吉田漱・山口静一・及川茂・宮尾與男・三木日出夫・河鍋楠美・加美山史子・山口順子)の研究成果をもとにした解説を附して掲載する。

鏡餅を供える。 清助に机届く。 団扇問屋伊勢孫より金二百疋届く。 清助に百疋進呈。 妻子喜ぶ。 年始客、森清三郎よりお菓子頂く。 森氏は帯刀。 源二にお年玉金二分を与える。 魚安に雑煮二膳。 中島先生、お見舞いに来られる。
経師屋、製本せる絵本を届ける。 狩野洞春様ご尊来。 病気療養中のため、息子周三郎と乳吞み児を抱えた妻近が接待。 洞春様恐縮のご様子。
円満寺に閻魔詣でをする。 和尚、本堂に閻魔像を飾り、僧侶が清めていた。 紺屋の門人と京屋の森太郎、年始に来る。 月輪氏と中島先生ご尊来。 月輪氏よりお年玉頂く。 清助、画紙を求めて来る。
[十四日] 十二日東京出立。 白子、藤久保村を経て川越へ。 大師堂五百羅漢に参詣し、写生。 茶屋にて一服の後、川越の町を遊覧。 紙二百文購入。 同行四人。 [十五日] 川越の内田斧右衛門宅に宿泊。 入浴後、「神武天皇図」の下絵を作る。 応挙画を鑑定。 一斎先生、来訪。 同行の一人、榎本氏帰る。
来客、栗原氏。 月謝三十銭持参、酒出す。 柏木氏注文の雛図出来、渡す。 今戸の玄布堂、甘露煮持参。 狂言図渡す。 鬼平「瀧見観音図」を表装して持参。 伊勢惣の使いに「恵比寿、大黒図」の色さしを依頼。 浅草の絵双紙屋、新作の注文に来る。 大工、家屋改築の見取図持参。 小石川の千太郎のために画手本を描く。 次郎吉泊る。 夜、狂言師高安甚三郎氏来宅。 十二時まで酒酌み交す。
明治四年正月八日 晴 明治四年正月十日 曇後晴 明治四年正月二十六日晴 明治九年十一月十四日晴
明治九年十一月十五日晴
明治十七年二月十一日晴
[十四日] 十五日朝五時、鶏鳴とともに起床、前日の日記を描く。 「山姥図」完成。 絵師、高橋翠岳、これを見る。 他に来客、勝文斎椿月、堀江町の使い、清水。 俥屋の辰蔵に命じ、日本橋榛原より画紙を取り寄せる。 代金三円。 龍池会より郵便にて礼状届く。 岡先生の車夫に門前の雪掻きを頼む。  [十五日] 来客、勝文斎、桑原。 桑原に「福神図」の色さしを依頼。 料金三円。 師・狩野洞白画「天狗図」を模した面、届く。 大工吉之助に三十銭払う。
[二十六日] 記六と小石川の仙太郎とを連れ、笹乃雪にて食事。 卍は俥にて帰る。 来客、大嶋屋。 門弟次郎吉の耳、話題と成る。 山本、フキノトウと卵持参。 夕刻、楊花堂にて酔う。 [二十七日] 来客、万亭応賀先生。 長患いの後、生活もままならぬ由、求めに応じて二十五銭進呈。 他に森清と大嶋屋。 注文の「鴉図」出来、万町の万吉に色さし依頼。 石屋から蛙の形の石を買う。 代金一円。 大嶋屋、石を見にまた来宅。
煮凝りを肴に朝酒をして寝込む。 来客、堀江町より清吉。 袋戸の絵のこと。 人形町の人形屋、子供の人形と団子持参。 面打師出目源助、作品持参。 巣鴨の甲斐芳太郎代理油町に三円渡す。 石町の高嶋、岡家の車夫、柴田氏等、この日の来客十五人。 仏画を三吉と久吉が賛嘆。
南清嶋町一丁目山本君、桑原リウ、稽古。 リウより三十銭。 来客、田中、松下。 田中より十銭。 午後、雨中辰蔵の俥にて東両国中村楼の書画会に出席。 仏画の大幅を描く。 主催者、前嶋和橋。
辰蔵の俥にて七時前、麻布今井町コンデル宅に出稽古。 稽古後、早昼にて洋食のご馳走にあずかる。 ワインを飲む。 昼食後、俥を連ねて武州玉川村へ。 コンデル家書生市太郎は、門前にて俥の整理。
明治十七年二月十四日雪
明治十七年二月十五日晴
明治十七年二月二十六日晴
明治十七年二月二十七日晴
明治十七年三月二十五日晴 明治十七年四月十三日晴後曇 明治十七年四月二十六日晴
四月十一日より上野公園で開催中の第二回内国絵画共進会に出掛ける。 事務所に挨拶。 役人が偉そうな顔で構えていた。 会場を回り、是真出品の「鳥の図」等を見る。 「月に嘯く狼」を出展した暁翠も来場。 館内で金港堂主人原亮三郎氏の一行と会い、誘われて原氏の別荘へ俥で向かう。 根岸にある庭園付きの大邸宅。 飲めや踊れの大宴会となる。 (この展覧会でコンデルの「雨中鷺図」に褒状が与えられ、暁斎は大満足)
[十九日] とよの妹きくを連れ、辰蔵の俥にて根岸へ。 俥代五十銭。 根岸の家の離れにとよが住んでいた。 竹垣でかこまれた藁葺き屋根。 とよは丁字屋の招待で三ノ輪の別邸に泊りに行って留守。 帰途、谷中の天王寺から根岸を経て帰宅。 天王寺五重塔が見える。 根岸近辺の畑の向こうに池がある。 [二十日] 相変わらず来客が多い。 金港堂の使いが出来上がった狂画を掲げ、それを見て大笑いする男。 柳川老人、篠崎老人、万町の万吉は常連客。 丁字屋がとよを迎えに行く。 明後日に書画会あり。 その配りものも用意出来た。 仮名垣魯文の伜熊太郎(蛙の顔)来訪。
[十二日] 麻布今井町コンデル宅に向かう。 コンデルは七月五日より十五日間京都、伊勢に出張中だが、もう一人の英国人門弟ブレンキ君ことブリンクリーへの稽古のため。 途中、柳川老人に出くわし、そのことを説明する。 来客はコンデル書生の市君と山口氏。 三吉、応対に出る。 山口氏依頼の「七福神図」完成。 夕刻、大川の花火大会見物。 両国橋の下の花火船と大小の屋形船が川を埋めてなかなかの賑わいだった。 [十三日] 大伝馬町松雲堂、揮毫依頼に二度来訪。 他に来客、日本橋万町の万吉。 版画の色さし頼む。 仙太郎が五十銭の画帖持参。 三幸君こと三河屋幸三郎氏来訪。 龍見橋の金子氏が潤筆依頼。 「大黒図」を希望。
[十四日] 比企郡の町田氏来宅。 金港堂若主人より大物三束を頂き、「鴛鴦図」二枚を進呈。 二十日より自宅普請のこと決まる。 大工の棟梁は足長の林氏。 婆さんと一緒に挨拶に来る。 浅草地内、勝手道具手遊見世主人がかんざし屋梅亭の使いとして来宅。 湯島六丁目の石商あみや、注文の蛙の石灯籠に盆の迎え火を焚く。 [十五日] 友人竹だ君、巴旦杏の枝と果実を持参。 門人海野美盛に手本を与える。 長安寺の僧来宅、盂蘭盆の送り火を焚く。 夜十時、雨。
明治十七年五月十三日晴 明治十七年六月十九日晴
明治十七年六月二十日晴
明治十七年七月十二日曇
明治十七年七月十三日雨
明治十七年七月十四日晴
明治十七年七月十五日雨
小山清兵衛氏来宅。 大工棟梁に五円渡す。 万町より経師屋来る。 酒友の三河屋幸三郎来宅。 堀江町の団扇屋三軒、白地の団扇を持参。 本郷藤村の羊羹(三十銭)を土産に、万町の榛原に向かう。 大垣屋、襖地持参で揮毫依頼。 土産に葛餅の折りと団扇。 榛原から横山町二丁目の絵双紙問屋辻文の店へ。 車夫の辰蔵を店先に待たせて上がり込み、今井氏と懇談。 部屋の屏風には半月前に仕上げた「鬼とおかめ」「瀧図」の扇面が貼ってある。
八月十日は旧暦六月二十日で小舟町八雲神社の祭礼。 早朝、神田明神を出発した神輿を見る。 息子暁雲が家族と見物。 白銀町(京橋)の下宿屋に会う。 石川光明先生に手紙出す。 三男記六、病気。 車夫の辰蔵に背負われ、松本先生へ。 女弟子桑原リウ、稽古。 来客は浅賀、辻文の使い、越後の人など。 光明先生の弟死去につき、悔やみに出掛ける。 
駿河台狩野家九代洞春秀信死去。 病床に伏す洞春の魂を吸い取る鬼。 辰蔵の俥で通夜の席へ。 洞春の娘オシヅとその妹を相手に、霊前にてお酒頂く。 三吉、辰蔵もお相伴にあずかって食事。 芝の能楽師金春らも来る。
コンデル、午前六時上野発の汽車にて伊香保温泉に赴く。 高崎駅より伊香保まで二頭立ての馬車の由。 三日間の湯治の予定。 山口氏、伊香保より帰宅。 午後一時二分、来訪。 大工の棟梁に茶菓。 半纏をひっかけ、背に曲尺を指している。 長安寺、天沢寺の僧来宅。 天沢寺は画紙持参。 根岸の蛙(女性)に連れられて、とよ来る。 辰蔵に命じ万町を迎えに出す。 大伝馬町松雲堂、狐顔の書画屋。 小池君。辰蔵に五円、棟梁に五円渡す。 二度来訪の万町より五円入る。
辰蔵の俥にて日本橋大工町に榛原雇い摺物師を訪ねる。 榛原の店に立ち寄るが、主人留守にて手紙受け取り、返事出す。 その足で麻布今井町のコンデル宅に向かう。 約束の美人図完成。 コンデルに与える。 稽古後、例によってお酒賜る。 市君、三吉同席。 伊香保行きの際贈られた餞別の品、コンデルよりお裾分けにあずかる。 留守中鬼平(経師屋)に障子の張り替えを頼む。 記六の師石川光明先生のために動物戯画を描き、記六より届けさせる。
明治十七年七月二十五日曇 明治十七年八月十日晴 明治十七年八月十五日曇 明治十七年八月十七日雨 明治十七年九月六日晴

辰蔵の俥にて麻布今井町コンデル方へ出稽古。 帰途、赤坂氷川神社にて休憩。 十五、十八日の暴風雨で境内の巨木倒れ、柵が壊れている。 葦簀掛けの仮茶屋で休み、辰蔵と冷水を飲む(三銭五厘)。 樹木の梢も大方吹き飛んでいた。 
亡母とよ十三回忌に当たり、辰蔵の俥にて八十吉同乗で谷中正行院に向かう。 途中、師家駿河台狩野家の菩提寺、上野護国院に立ち寄り、墓参。 正行院にて母の菩提を弔う。 辰蔵に墓の掃除させる。 帰途、天王寺より根岸に行く。 九月十五、十八日の大風雨で、天王寺境内の巨木が何本も薙ぎ倒されていた。 根岸のとよ宅で、辰蔵に二十銭与える。 笹乃雪にて、とよ、蛙(根岸の女性)と食事をともにする。
土曜日、麻布今井町コンデル宅へ辰蔵の俥にて出稽古。 コンデル作「鷺図」完成。 コンデル君、市君、三吉を助手に「左甚五郎図」の制作に着手。 仕事の後、酒の饗応を受ける。 金二十円前借り。  来客、駒込萬年山祥林寺の住職。 キノコ土産、「達磨図」催促のため。 木場の町田氏使い。 辻文使い。 大工の使いに二円払う。
来客、日本橋通四丁目の柳川老人。 鶴野君に五十銭心付、「鷺図」渡す。 「光氏」の幅を持つ書生、酒二升持参。 屋根みのに酒飲ます。 肴は竹輪。  大風余波で根岸のとよ宅倒壊。 大工を頼んで復旧作業。 蛙(根岸の女性)と女児が見物。 とよ、大工の棟梁に二円渡す。
土曜日、麻布今井町コンデル宅出稽古日。 門人早川松山来訪、酒を出し、辰蔵を待たす。 今井町への途中、万町に所用あり、榛原に立ち寄る。 コンデルには前週土曜日入手の仇英の軸を持参。  伊勢正の使い、安物の更紗持参。  根岸へ行く。 倒壊のとよ宅、昨日立て直し完了。 とよ、大いに喜ぶ。 蛙(根岸の女性)と女児とを招き、棟梁に茶菓を供せし由。 なお、昨日はとよ、八十吉ら(湯島)天神に参詣。 暁雲と記六、松山の酒の相手をする。
明治十七年九月二十日晴 明治十七年十月二日曇 明治十七年十月四日晴 明治十七年十月五日晴 明治十七年十月十一日晴

ブレンキ君宅に出稽古。 同行者、三吉と寛斎の息子。 注文の画帖完成、持参。 狐の化ける図など。 春の突風で障子が外れ、大騒ぎとなる。 品川沖の海が間近に見える。 大風につき四時帰宅。
三吉同道し、ブレンキ君宅出稽古に赴く。 イギリスの画家と二人の外国人および通訳(チャールズ・ワーグマンの息子)がすでに来着。 イギリスの画家を相手に東西画法の違いなど話す。 実例として「鴉図」「鷺図」「文昌星之図」「鷹とムササビ図」を描く。  来客、鬼平、町田(刀剣商)のり持参、木場の町田氏。 笹乃雪、土産持参。 「花魁図」渡す。 画料九円。 四月分の画料、計百六十二円四十銭。
来客、岩忠と新川の豪商鹿嶋清兵衛様の使い安君。 「山姥図」の下絵を描く。 夜、雷雨あり、雷公大暴れ。 芝区の手遊屋に落雷の由。
六月帰国のコンデル、土曜日の稽古再開するが、今回は日曜日に変更、西紺屋町に出稽古。 注文の「達磨図」出来、弥太郎掲げてコンデルに見せる。  来客、岩忠と新川鹿嶋様使い安君。 新川注文の扇面図「大黒」「瀧」「富士」を渡す。 大坂より酒届く。 辻君、画幅十枚を請求。 また、師藤巳之助(摺師)、玉宝堂(硯商)が来宅。 新川の安君、狂言道具を運んでくれて二度のお使いとなる。 
来客、辻文の使い、上野護国院の僧第二十一世宣順師(読経)、箔兼(箔商)、箱屋。 箱屋に四十五銭払う。 入江氏より画料四円。 辻文の使いは新川鹿嶋の使いとして土産持参で来宅せしもの。 旦那(鹿嶋清兵衛)、写真に熱中の由。 新川様(鹿嶋の旦那)に手紙。 北越旅行中の周三郎(暁雲)より手紙。
明治二十年三月十二日晴 明治二十年四月三十日曇 明治二十年五月二十三日曇 明治二十年七月十日晴 明治二十一年四月十七日
朝雨 午後晴
堀川氏注文の絹本掛軸完成(経師屋鬼平持参)。 箱張も出来る。 来客、卍亭。 三河屋より門扉修理の大工。 辻文の使い、埼玉の暁雲に筆、刷毛を届ける。 新川様ご隠居宅にて書画会あり。 新川より深川和倉町へ人力車を連ねたが、途中、永代橋手前で、雨のため暁斎の俥が転倒。  和倉町のご隠居、清三郎(清兵衛の実弟)、旦那(八代目清兵衛)の前で、リス、鍾馗、ホトトギスの下絵を美濃紙に描く。  万町より手紙。 鍬形(浮世絵師)より手紙。 
下谷三島明神の祭日につき、門に提灯を張る。 大久保さん、花を活ける。 来客、箔兼。 代金一円五十銭払う。 柏原氏注文の「鍾馗」「大黒」「恵比寿」の三幅出来。 画料二円受け取る。 浅草海禅寺の玄呂和尚注文の「達磨図」完成。  蓮沼氏、辻文同伴にて上野公園の美術協会展覧会を訪れ、古画など見る。 帰途、上野広小路にて小宴、古画の六曲屏風(「唐獅子図」)話題となる。 人力車にて帰宅。
芝区田町のブレンキ君宅へ挨拶に出向く。 土産にカステラ、三十銭。 来客、辻文使い、上野護国院僧侶、読経。 お布施、六十銭。 児玉郡柏原村西浄寺住職(林法泉)より画料一円。 印判屋の吉兵衛、印判持参。 二円払う。 他に三河屋と箱屋。 箱屋には師宣と祐信の画幅のための箱を注文する。  新川の鹿嶋家より手紙。 本屋に彫り代三十銭、貸本屋に見料五十銭を払う。 約束の杉の森は参らず。 宮内省より手紙、文面を写す。 封筒表に所書と宛名。 内容は画の購入に関して翌日同省調度局へ出頭せよとの命令。 
西紺屋町コンデル事務所へ出稽古。 新川鹿嶋家注文の月次画帖のうち、十一月と十二月の下絵出来る。 新川より庄君、画料五十円持参。 上野広小路の豆腐屋に誘う。 来客、森清こと森清三郎、辻(暁夢)、山名先生。 山名先生より鰹節頂く。  午後、鹿嶋家の向島下屋敷での席画に招かれ、八十吉を伴って出張。 絹本にて、「鹿に寿老人」「立ち雛」「鴉」、紙本にて「唐角力」「狂言図」「宝木」「天神」を描く。 終わって寺島村木母寺戸隣の料理屋、植半に俥を連ね、名月を愛でながらの酒宴となる。
朝、散髪。 床屋にお年玉二十銭。 年始の客、岩忠、年賀に風呂敷。 万亭応賀先生、年賀にヤツガシラ。 石川光明先生、羊羹。 鶴、のり。 八十吉、のりとミカン。 他に辻、山名先生名代の息子など。 初卯参り、俥にて詣でる。 初雪。 勝田熊蔵氏、松田氏に会い、浅草酒亭にて一献傾ける。 酒代、三円二分。
明治二十一年五月十日雨 明治二十一年五月十五日晴 明治二十一年五月十七日雨 明治二十一年九月十五日晴 明治二十二年一月三日
曇 午後雪
裏表紙


(2)暁斎画談

明治二十年(1887) 版本黒摺淡彩 25.5 x 17.3cm
暁斎の口述に基づき瓜生政和が著述したもので、内編二巻、外編二巻よりなる。 内編には修業の成果として画論を、外編には自分の生涯を広く公開している。  別頁に各編各2冊の全153丁を掲載する。

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(3)絵新聞日本地

明治七年(1874)六ー七月 刊行。 半紙 第壱号 22.5 x 15.3 cm   第弐号 20.9 x 15.3 cm
横浜で、仮名垣魯文が戯文を書き、暁斎が挿絵を描いた滑稽諷刺雑誌である。 定価は四銭、半紙二つ折りの六丁ないし八丁の体裁。 第弐号までが知られていたが、1994年に第三号が確認された。

誌名の「日本地」は横浜居留地で発行されたチャールズ・ワーグマンの『ジャパン・パンチ』を模しており、戯画、漫画を表す「ポンチ」の語源となった。

第壱号、第弐号の全図を以下に掲載。

第壱号

表紙の富士山にまたがる二人の男は魯文と暁斎。 中央の「官許」のもつ光は、筆禍経験のある二人にとって明治の「御来光」を意味した。 
硯と筆を持ち、シルクハットに高下駄の開化風浦島太郎の登場。 竜宮城ならぬ横浜居留地から新しい情報を書き立てようと意気込む。 
鞄や金子を携えた左の二人の男は「とんだ板づらながき(板垣)をしょいこんだ。大儀、大儀」と迷惑顔。 背中にとりついた餓鬼の胸には「自由」の二文字。 明治七年四月、板垣らの創設した立志社と大坂商人の関係を揶揄した図か。

大椀(台湾)で食事する日本人に「いつか御馳走になるつもりさ、しかい食いつぶされてはたまらぬ」とつぶやきながら給仕する清国人。 衝立の陰からは二国間の様子を窺う英国人。 五月に台湾征伐開始後、領有を主張し始めた清国との緊迫した国際関係を描く。
新政府による神仏分離令や神道国教化のための三条の御教書など一連の政策は、神社・神官の地位を向上させた。 信仰の対象を仏像から切り替えて権威づけを図る神官を描く。 「いわしの頭も信心から、いわんや我が国の神道においてをや」と魯文の痛烈な皮肉が込められている。
二月に慶應義塾出版社から創刊された「智ゑの指南 民間雑誌」を背負った大天狗には天の網も餅竿もかからない。 『学問のすすめ』をはじめ啓蒙書をベストセラーにして利益をあげる福沢諭吉を諷刺した図。

意味は判然としないが、「かくのごとき廃疾もまた新聞といわざるべからず」と、両足のない者の見世物を描いている。 見物人は日本人と西洋人の医者。 六月にヘボンによって再手術を受けた義足の俳優・沢村田之助のことか。
英国人と囲碁をする日本人。 空中には盤面をねらう双頭の大鷲(米国人)もいる。 居留地内の土地の区画をめぐる駆引きを描いたものか。 囲碁の定石どおり慎重に、と説いている。
蚕の種紙を空中に舞い上がらせている西洋人とあわてふためく日本人商人たち。 一時欧州の蚕の病害のため蚕種は生糸に次ぐ輸出品となったが、病害の回復と普仏戦争の終結によって価格が下落し、横浜のしょうにんは大打撃を受けた。


第弐号

「電光車輪の迅速つとに進歩を促す記」と巻末の「絵解き」にある。 明治六年九月に桜木町七丁目の新居に移った魯文には横浜・新橋間の汽車を毎日眺めることが出来た。 七年六月には横浜・小田原間の電信も開通した。
貸座敷から大きな鑑札に繋がれて出てきたのは芸娼妓たち。 明治七年三月に改正された高島町遊女渡世規則、芸者渡世規則は一人一円の鑑札料を示し、六月には月ごとの納税額が明文化された。 明治五年のいわゆる遊女解放令の顛末は、彼女たちの自由を奪った。

「絵解き」には米国の在留邦人がその妻を過保護にするのを見て現地の「男女同等人」が驚いている話とする。 左の男は夫婦の様子を望遠鏡で覗きながら「宗門は真言(新婚)であろう」と駄洒落を言っている。
人の顔をした奇妙な牡丹の花の前で兵隊が「この種は良くないから、引っこ抜いてこっちの草花を植えかえさせよう」と言っている。 明治四年台湾に漂着した琉球人五十四人が現地牡丹社の蛮人に殺害された事件は、征台論を沸騰させ、ついに明治七年台湾征討軍の派遣に及び、五月には牡丹社の首長も斬首された。
新築は石かレンガに限るとの神奈川県の令達により、都市形成のための費用負担に苦しむ人々を表す図。 時計台のある建物は四月に竣工した横浜町会所。 右の男は六月に待ち会所の屎尿処理を引き受けた岩崎為蔵。

明治七年一月「日新真事誌」が民選議院設立建白書をスクープしたのを機に大新聞の間で論議が巻き起こった。 政府御用派(東京日々新聞)と民権派(日新真事誌、横浜毎日新聞、郵便報知新聞)の戦いの構図を描いている。


(4)団扇絵



明治四年以後
明治十四年三月御届け
大黒 弁財天

明治四年以後
明治四年以後
寿鶴亀・松竹梅 母子と犬

明治十年頃
明治十年頃
明治十年頃
明治四年以後 神泉ノ奇効諸病魔ヲ洗除スルノ図
九州戦記 村田新八 桐野利秋 九州戦記 伊集院伯母 済正社所轄鉱泉

明治四年以後
明治四年以後
明治四年以後
菊の生花と小鳥 鹿の子百合と小鳥 川蝉・木蓮・目高

あやめ あやめ いかほ

(5)意匠


便箋表紙




大奉書室町千代紙


紋画帖


硯箱・硯

鬼面硯箱・硯

鶏文様兎型硯 同図案下絵