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暁斎の絵日記は明治三年頃から同二十二年三月二十六日まで休みなく書き続けられた。 しかし、二十二年の一月八日には「病気に付き一月、日記つかず」とあって、二ヶ月の空白の後、三月十七日と書かれた頁に日付のみが二十六日まであるのが最後となっている。 その後は、錯乱したような一頁のあとに、いろいろなデッサンが描かれ、あたかも暁斎の一生を閉じるかのような鬼の絵で絵日記は終わっている。
膨大な絵日記の大半は散逸し、ほんの一部しか残っていない。 しかし、残されている部分だけでも量的には数百枚に及び、明治の生活資料としても、また絵師という特殊な環境の貴重な資料といえる。
以下に、その一部を、「絵日記」研究会(吉田漱・山口静一・及川茂・宮尾與男・三木日出夫・河鍋楠美・加美山史子・山口順子)の研究成果をもとにした解説を附して掲載する。
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明治四年正月八日 晴 |
明治四年正月十日 曇後晴 |
明治四年正月二十六日晴 |
明治九年十一月十四日晴
明治九年十一月十五日晴 |
明治十七年二月十一日晴 |
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明治十七年二月十四日雪
明治十七年二月十五日晴 |
明治十七年二月二十六日晴
明治十七年二月二十七日晴 |
明治十七年三月二十五日晴 |
明治十七年四月十三日晴後曇 |
明治十七年四月二十六日晴 |
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明治十七年五月十三日晴 |
明治十七年六月十九日晴
明治十七年六月二十日晴 |
明治十七年七月十二日曇
明治十七年七月十三日雨 |
明治十七年七月十四日晴
明治十七年七月十五日雨 |
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明治十七年七月二十五日曇 |
明治十七年八月十日晴 |
明治十七年八月十五日曇 |
明治十七年八月十七日雨 |
明治十七年九月六日晴 |
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明治十七年九月二十日晴 |
明治十七年十月二日曇 |
明治十七年十月四日晴 |
明治十七年十月五日晴 |
明治十七年十月十一日晴 |
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明治二十年三月十二日晴 |
明治二十年四月三十日曇 |
明治二十年五月二十三日曇 |
明治二十年七月十日晴 |
明治二十一年四月十七日
朝雨 午後晴 |
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明治二十一年五月十日雨 |
明治二十一年五月十五日晴 |
明治二十一年五月十七日雨 |
明治二十一年九月十五日晴 |
明治二十二年一月三日
曇 午後雪 |
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明治二十年(1887) 版本黒摺淡彩 25.5 x 17.3cm
暁斎の口述に基づき瓜生政和が著述したもので、内編二巻、外編二巻よりなる。 内編には修業の成果として画論を、外編には自分の生涯を広く公開している。 別頁に各編各2冊の全153丁を掲載する。 |
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内編上巻 |
内編下巻 |
外編上巻 |
外編下巻 |
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明治七年(1874)六ー七月 刊行。 半紙 第壱号 22.5 x 15.3 cm 第弐号 20.9 x 15.3 cm
横浜で、仮名垣魯文が戯文を書き、暁斎が挿絵を描いた滑稽諷刺雑誌である。 定価は四銭、半紙二つ折りの六丁ないし八丁の体裁。 第弐号までが知られていたが、1994年に第三号が確認された。
誌名の「日本地」は横浜居留地で発行されたチャールズ・ワーグマンの『ジャパン・パンチ』を模しており、戯画、漫画を表す「ポンチ」の語源となった。
第壱号、第弐号の全図を以下に掲載。 |
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九州戦記 村田新八 |
桐野利秋 |
九州戦記 伊集院伯母 |
済正社所轄鉱泉 |
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菊の生花と小鳥 |
鹿の子百合と小鳥 |
川蝉・木蓮・目高 |
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