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1840年、ボルドーの生まれ。 本名はベルトラン・ジャン・ルドン。 母マリーの通称「オディール」に由来する「オディロン」の愛称で呼ばれ、本人も周囲も終生オディロンと呼ぶことになる。
虚弱児だったルドンは誕生後まもなくして、ボルドー近郊のペイルルバードの母方の叔父が住む、ルドン家所有の葡萄園にあずけられ、乳母の手で育てられた。 病弱で内向的な子供だったため、11歳でボルドーの学校へ入学。 18歳まで勉学に勤しみ、休暇になると寄宿舎を離れ、版画模写を楽しんだ。
1855年15歳の時水彩画家スタニスラス・ゴランの指導でデッサンを学ぶ。 1857年両親の希望により、建築家ルイ=イポリット・ルバの指導で建築(特に幾何学と設計)を学ぶ。 植物学者アルマン・クラヴォー
Armand Clavaudと知り合い、クラヴォーから顕微鏡を通して見た自然の神秘および文学、ロマン派芸術や古代芸術への手ほどきを受ける。 後の版画集『夢想(Dreams)』はクラヴォーに捧げている。

1864年24歳、パリに出てジャン=レオン・ジェロームに入門するが数か月でやめ、ボルドーに戻って銅版画家ロドルフ・ブレダンの指導を受ける。 翌1865年から「ボルドー芸術友の会」に木炭画、銅版画等を出品はじめる。 また、1868年には地方紙「ラ・ジロンド」にサロン評、風景画論、などを出筆。
1870年、普仏戦争に従軍、翌71年終戦。
1872年からパリに定住する。 継続して「ボルドー芸術友の会」に木炭画、版画を出品。
1879年、初の石版画集『夢の中で (In the Dream)』を刊行した。
1880年40歳、結婚。 1881年パリで初個展「オディロン・ルドンの木炭画」を開催するが、反応は乏しかった。
1882年ル・ゴーロワ新聞社で木炭画と版画による個展を開催。 ユイスマンスらに注目される。 エドガー・アラン・ポーの作品を意識した二番目の石版画集『エドガー・ポーに
(To Edgar Poe)』刊行。 1883年石版画集「起源(The Origins)」を出版。 (同年弟ガストンが建築家としてローマ賞受賞。 のちに国立美術学校教授になる)
1884年スーラ、シニャックらと「独立派展」を設立。 1885年石版画集『ゴヤ頌 (Hommage to Goya)』を出版。
1886年長男ジャンが生まれるが、僅か半年で亡くなる。 石版画集『夜 (The Night)』を出版。 1888年石版画集『聖アントニウスの誘惑 第一集 (Temptation of Saunt Anthony (1st series))』を出版。
1889年「第一回版画家展」に木炭画、石版画、風景画など17点出品。次男アリが生まれる。 石版画集『ギュスターヴ・フロベールに (To Gustave Flaubert)』(聖アントニウスの誘惑 第二集 (Temptation of Saunt Anthony (2nd series)))を出版。

1890年油彩、パステル、木炭、石版画、など積極的に描き、諸展に出品。 銅版画集『悪の華 (Flowers of Evil)』を出版。 『Closed Eyes』を油彩、版画で描く。 1891年、 1890年に死去したクラヴォーに捧げた石版画集『夢想(Dreams)』を出版。
1892年アルベール・オーリエの「百科事典雑誌」に「象徴主義画家」と紹介される。 1894年絵画9点、パステル10点、木炭63点、石版画53点による大規模な「オディロン・ルドン展」開催。 ハーグでも「オディロン・ルドン展」開催。
1896年石版画集『聖アントニウスの誘惑 第三集 (Temptation of Saunt Anthony (3rd series))』を出版。 1897年ヴォラールがルドン作品を大量に購入。 翌年より、個人コレクターからの注文制作が増える。
1899年最後の石版画集『聖ヨハネ黙示録 (The Revelation of St. John the Divine)』を出版。
 
1903年 レジオン・ドヌール勲章受勲。 1904年 油彩『Closed Eyes』(1890年制作)が政府に買い上げられ、リュクサンブール美術館に入る。 「第2回サロン・ドートンヌ」においてルドン展、65点展示。
1906年個展。 油彩、パステル、素描、木炭、銅版、石版、など52点。 うち29点が花の静物だった。
1907年、ロッテルダムでルドン展。 油彩、パステル、木炭、石版、など61点。 以降、各地、各国で個展開催、美術展に出品。 1913年にはアメリカのアーモリー・ショー(アメリカにおけるヨーロッパ現代美術紹介の展示で、マルセル・デュシャンも出品していた)で1室を与えられ、展示した。
1916年7月、感冒をこじらせパリの自宅で死去。 享年76歳。 |