| 1.1 |
誌石 |
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埋石:唐 開元22年(734年) |
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誌形:辺長が約40cmの正方形。 墓誌石と蓋石からなる。 |
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字組:蓋石 4行 各3字
墓誌石 12行 各16字 (誌面に4行分の空白あり)
3行目から11行目まで、先頭の文字が欠落している。 |
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蓋石拓本 |
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墓誌石拓本 |
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| 1.2 |
蓋石文 |
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| 1.3 |
墓誌文
原文 (原文は縦書きであるが、横書きにしている) ( “□”は欠字 ) |
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贈尚衣奉御井公墓誌文 并序
公姓井字真成國号日本才稱天縦故能
□命遠邦馳聘上國踏禮楽襲衣冠束帯
□朝難与儔矣豈啚強學不倦問道未終
□遇移舟隟逢奔駟以開元廿二年正月
□日乃終干官弟春秋卅六 皇上
□傷追崇有典 詔贈尚衣奉御葬令官
□即以其年二月四日窆干萬年縣滻水
□原禮也嗚呼素車暁引丹旐行哀嗟遠
□兮頽暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
□乃天常哀茲遠方形既埋於異土魂庶
歸於故郷 |
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読み下し文 (東野治之 奈良大学文学部教授による) |
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贈尚衣奉御(しょういほうぎょ)井公の墓誌の文。 序并(あわ)せたり。 |
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公は姓は井、字は真成。 国は日本と号し、才は天の縦(ゆる)せるに称(かな)う。 故に能く命を遠邦に□、上国に馳せ聘(むか)えり。 礼楽を踏みて衣冠を襲う。 束帯して朝(ちょう)□、与(とも)に儔(たぐ)うこと難し。豈図らんや、学に強(つと)めて倦まず、道に問うこと未だ終らざるに、□移舟に遇い、隙(げき)、奔駟に逢わんとは。 開元二十二年正月□日、乃ち官弟(かんだい)に終わる。春秋三十六。 皇上、□く傷みて、追崇するに典有り。 詔して尚衣奉御を贈り、葬は官を令(し)て□せしむ。 即ち其の年二月四日を以て、萬年県の滻水(さんすい)の□原に窆(ほうむ)る。 礼なり。 嗚呼、素車(そしゃ)、暁に引き、丹旐(たんちょう)、哀を行う。 遠□を嗟(なげ)きて暮日に頽(たお)れ、窮郊に指(おもむ)きて夜台に悲しむ。 其の辞に曰く、□は乃ち天常(てんじょう)、哀(かなし)きは茲(こ)れ遠方なること。 形は既に異土に埋もれ、魂は故郷に帰らんことを庶(こいねが)うと。 |
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釈文 (気賀澤保規 明治大学文学部教授、その他による) |
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公は、姓は井、字は真成という。 祖国は日本で、天賦の才能が認められ、選ばれて遠国の日本から、国命を帯びてわが唐朝に馳せ参じた。 その立ち居振る舞いは典雅で、衣冠束帯をつけて唐の朝廷に上がったさまは、堂々たるものであった。
ところが思わぬことに、一生懸命勉学に励み、学業がまだ終わらないその途中で、にわかに不幸(病気)に見舞われ、はかなくも開元二十二年正月?日に、官舎で逝去した。享年三十六歳であった。
皇帝陛下(玄宗)は大変遺憾に思われ、特別の思し召しをもって官位の追贈を決められ、詔を下して尚衣奉御(従五品上の位)を追贈し、葬儀は公葬で行わせた。こうして同年の二月四日、(長安東側を占める)萬年県の郊外、滻水の高台に埋葬した。
葬列は早朝に出発し、遠途にだんだん見えなくなってゆく夕日を嘆きつつ、郊外の墓地に向かっていく。
生には限りがあり、別れることは避けられぬことだが、この遠い外国から来た人の死去は特に悲しいことだ。遺骸は既に異土に埋められるも、魂は乞い願わくば故郷に帰らんことを。 |
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