1.解説
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六朝の頃、「尺牘書疏は千里の面目」 - 書簡は見知らぬ遠くまで面目を施す、といわれたが、当時の貴族にとって、書は詩文にも劣らぬ必須の教養であった。
尺牘とは、長さ一尺の木簡のことで、昔はこれに情報を書き込んで通信した。 そして紙の発明があってからも、この言葉は生き残り、手紙、書簡の意に用いられて今に至っている。
ただ、尺牘は私信である。 そのため、文体にせよ書風にせよ、筆者の人格がそのままに投影されて、一種独特の風韻と魅力をかもし出す。 文章は多く簡直、書体は多く行草である。
以下の王羲之の尺牘(書簡)を掲げる。
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2.法帖
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2.1 遠宦帖
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「十七帖」の中に『省別帖』として刻入されている草書尺牘で「淳化閣帖」にも採られている。 唐人双鈎本と伝えられる。
宋の徽宗から、金の章宗のな内府に入り、唐の太宗に渡り、「快雪時晴帖」とともに伝わったもの。
台湾 台北 故宮博物院 所蔵
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| 原文 |
読み下し文 |
省別具 足下小大問為慰。多
分張。念足下懸情。武昌諸
子。亦多遠宦。足下兼懐。
竝數問不。老婦頃疾篤。
救命。恒憂慮。餘粗平安。
知足下情至。
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別に具せる足下小大の問を省みて、慰めと為す。多く
分張し、足下の懸情を念う。 武昌の諸子も、
亦た多く遠宦し、足下兼ねて懐わん。
並びに數しば問うや不や。 老婦はこの頃疾篤く、
救命するも、恒に憂慮す。 餘は粗ぼ平安なり。
足下の情至を知らしむ。 |
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| 2.2 喪乱帖 |
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唐の内府で搨摸した摸本。もと巻子本であったが、現在は軸装。
おそらく遣唐使により、古く我が国に将来され、聖武天皇御遺愛品の一つとして東大寺に献納され、桓武天皇が借覧した書跡と云われる。
なお、喪乱帖は最初の8行が1書簡で、あとは文意が連続せず、断簡を綴ったものである。
宮内庁三の丸尚蔵館 所蔵
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| 原文 |
読み下し文 |
羲之頓首。喪亂之極。
先墓再離荼毒。 追
惟酷甚。 號慕摧絶。
痛貫心肝。 痛當奈何
奈何。 雖即脩復。 未獲
奔馳。 哀毒益深。 奈何
奈何。 臨紙感哽。 不知
何言。 羲之頓首頓首。
二謝面未。 比面遅詠。 良不。
静羲之・女愛。 再拝。
想邵兒悉佳。 前患者善。
所送議。 當試尋省。
左邉劇。
得示。 知足下猶未佳。 耿々。
吾亦劣々。 明日出乃行。
不欲觸霧故也。 遅
散。 王羲之頓首。 |
羲之頓首、喪亂の極み、
先墓、再び荼毒にかかる。
追惟すれば酷甚だしく、号慕摧絶し、
痛、心肝を貫く。 痛、当に奈何すべき、
奈何すべき。 即ち修復すと雖も、
未だ奔馳するをえず。 哀毒、ますます深し。 奈何せん、
奈何せん。 紙に臨んで感哽し、知らず、
何をか言わん。 羲之頓首頓首。
二謝、面せるや未だしや、このごろ面して詠をまたん、
まことに不、
静、羲之・女愛、 再拝。
想うに邵の兒は悉く佳からん。 前に患う者も善からん。
送る所の議、まさに試みに尋省すべし。
左邉劇す。
示を得、足下の猶お未だ佳からざるを知り、耿々たり。
吾も亦た劣劣たり。 明、日出づれば乃ち行かん。
霧に触るるを欲せざるの故也。
散をまつ。 王羲之頓首 |
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2.3 七月帖 都下帖 |
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「七月帖」本紙の前部には「王羲之帖」「褚遂良」の楷書題字があり、南宋、金の内府収蔵及び明の項元汴、清の安岐などの手を経て清朝内府に帰したもの。
乾隆帝は御題の中で「行筆流逸にして中に古澹を含んでおり、まことに神物である」と讃えている。
台湾 台北 故宮博物院 所蔵
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2.4 平安帖 何如奉橘帖 |
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行書三帖を合幀したもの。 古くより唐以前の双鈎填墨本であることが知られている。 唐の懐仁は「集字聖教序」中に本帖より「百」「霜」「降」の三字を採用している。
宋の徽宗の題籤、欧陽脩、蔡襄など歴代名家の題名がある。
台湾 台北 故宮博物院 所蔵
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