玄宗

玄宗 げんそう 685〜762 中国、唐の第6代皇帝。在位712〜756年。姓名は李隆基(りりゅうき)。則天武后のあとに権勢をふるった中宗の皇后韋(い)氏一派を710年にクーデタで一掃し、父の睿(えい)宗を即位させて自らは皇太子となり、やがて父のあとをついだ。玄宗は治世の前半は混乱した秩序の回復につとめ、有用な人材を登用して国力を増大、対外的にも突厥をおさえるなどの積極策をとり、年号からとって「開元の治」とたたえられた。

しかし、「貞観(じょうがん)の治」と称された唐初期の治世を再現しようとする玄宗の理想は、くずれつつある律令政治のほころびをつくろうにすぎず、農村の窮乏、科挙制の浸透による新興勢力の増大などの新しい時代の動きにこたえるものではなかった。この矛盾はしだいに明らかとなった。財政はゆとりをなくし、均田制や府兵制などの諸制度もくずれはじめた。玄宗はしだいに政治をおろそかにするようになり、息子寿王の妃だった楊貴妃をうばって後宮にいれるなど、遊興にふけっていった。

755年に安史の乱がおきると、玄宗は翌年四川(しせん)へおちのび、その途中で楊貴妃は殺される。玄宗は皇太子(粛宗)に位をゆずって上皇となり、757年にうばいかえされた長安へもどったが、粛宗との不和で幽閉同然となり、失意のうちに病死した。